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(国立国会図書館) 〇 言志録・言志後録・言志晩録・言志耋録. 言志録 佐藤一斎 著 (文魁堂, 1898)
(原文) 〇言志録〇言志後録〇言志晩録〇言志耋録
(検索) ◎言志四録 、◎言志四録 全文 、〇佐藤一斎「言志四禄」総目次(引用文献)

「言志四録」佐藤一斎 著
『言志晩録』第60条「少くして学べば、則ち壮にして為すことあり
壮にして学べば、則ち老いて衰えず、老いて学べば、則ち死して朽ちず」

1.言志碌.htm 42歳~53歳起稿 (げんしろく)
2.言志後録.htm 57歳~67歳 (げんしこうろく)
3,言志晩録.htm 67歳~78歳 (げんしばんろく)
4.言志耋禄.htm 80~82歳 (げんしてつろく)

『言志四録』(げんししろく)は、佐藤一斎が後半生の四十余年にわたって書いた語録。
指導者のためのバイブルと呼ばれ、現代まで長く読み継がれている。
一斎先生に学びし人々は数千人を数える、西郷南洲は愛唱し会心の百一条を抄録座右の筬としていた。
2001年5月に総理大臣の小泉純一郎が衆議院での教育関連法案の審議中に触れ、知名度が上がった。




【ビジネスパーソンのための言志四録】
その1 その2 その3 その4 その5 その6 その7 その8
【この一冊が 歴史を動かした】 NHK DJ日本史貞観政要/言志四録/論語/(1/4) (2/4)
貞観政要(YouTube) 言志四録(YouTube) 論語(YouTube) 論語と算盤(朗読)

(1) 言志録で学べることを抽出すると
○過去の自分が現在の自分を作り、現在の自分が将来の自分を作る。
○屈辱を受けて発憤したことで後世に名を残す人になった例あり。
○忙しいという人も実際に必要なことは1~2/10
○心は顔色と言葉にあらわれる。
○一芸は万芸に通ず。
○人には、その人の長所を話してもらうと自分にもためになる。
○賢者は死を当然来るものととらえているから恐れない。
○平生の言動こそ遺訓
○良き子供を育てるのは、私事ととらえず公事ととらえるべし
◎『言志晩録』第60条「少くして学べば、則ち壮にして為すことあり 壮にして学べば、則ち老いて衰えず 老いて学べば、則ち死して朽ちず」 などなど。

目次    言志四録 目次 (川上正光全訳) 

   

目次   言志四録 目次 (久須本文雄全訳) 





   佐藤一斎 「言(げんし)()晩録」 (ばんろく)( 先生67歳~78歳 )

その19その20その21その22その23その24その25その26その27その28その29



   佐藤一斎「言志晩録」その一 岫雲斎補注 

言志晩録は292条、佐藤一斎先生が67歳より78歳まで凡そ12年間に記されたもの。学問、修養、倫理、道徳、政治、法律、風流に至るまでの人間生活のあらゆる局面に於ける、身の処し方、心構えが説かれている。

はしがき

 単記すること積年、又一堆(いったい)を成す。輯録(しゅうろく)するに及びては、則ち(ほぼ)類を以て相従う。事も亦多く(かつ)()くの後に係れり。録は天保戊戌孟陬(てんぽうぼうじゅつもうすう)の月に起り、()(えい)()(ゆう)仲春(ちゅうしゅん)の月に至る。 一斎老人自ら題す。

1.  為学(いがく)為政(いせい)

学を為すの緊要(きんよう)は、心の一字に在り。心を()って以て心を治む。之を聖学と謂う。(まつりごと)を為すの(ちゃく)(がん)は、情の一字に在り。情に(したが)って以て情を治む。之を王道と謂う。王道、聖学は二に非ず。

岫雲斎

 学問をするに当り最も大切な事は「心」の一字である。自分の心をしっかりと把握し、これを治める。これを聖人の学という。政治をするに当り第一の着眼点は「情」の一字にある。人情の機微に従い人々を治める。これを王道の道というのである。これら王道の道と聖人の学とは実は一つであり、二つではない。

2.  (きょう)(けん)二則 その一

狂者(きょうしゃ)は進みて取り、(けん)者は為さざる所有り。()()(ぜん)(ゆう)(こう)西華(せいか)は、(こころざし)進み取るに在り。曽皙(そうせき)は独り其の撰を(こと)にす。而るに孟子以て狂と為すは何ぞや。三子(さんし)の進み取るは事在りて、曽皙の進み取るは心に在り。

岫雲斎

 志高く一意のみに突進する者は進取の気性がある(狂者(きょうしゃ))。引っ込み事案ばかり((けん)者)で進取の気性に欠ける者は不善不義をなさず自守(じしゅ)がある。孔子は門弟の子路、(ぜん)(ゆう)(こう)西華(せいか)曽皙(そうせき)に対して、志を言わせた。(論語先進篇24)曽皙(そうせき)以外の三人は進取の気性ある志を述べた。曽皙(そうせき)は「暮春(ぼしゅん)には春服既に成る。冠者(かじゃ)5-6人、童子6-7人、()(すい)の温泉に浴し、舞?(ぶう)の辺りで涼風に吹かれ歌いながら帰ってきたい」と言う。孔子は「我は曽皙(そうせき)に与みせん」と褒められた。然し孟子は、この曽皙(そうせき)を狂者としたのは、どういう理由なのか」自分が思うには、三人の進取的なのは「事柄上」のことであり、曽皙(そうせき)の進取的であるのは「心の上」にあるのだろうと。

3.   (きょう)(けん)二則 その二

 曽皙(そうせき)は齢老ゆ。宜しく老友を求むべし。(かえ)って(かん)(どう)を求め、幽寂(ゆうじゃく)を賞せずして、卻って?(えん)(よう)を賞す。既に浴し且つ(ふう)するも、亦老者の事に似ず。此等の処、(すべか)らく善く狂者の心体(しんたい)(たず)(いだ)すべし。

岫雲斎

 曽皙(そうせき)が孔子と問答の時は既に42-43歳で老境であった。だから老人の友を求めるべきであるのに、冠者、童子と若い者を求め、老人の好む幽寂な風趣を愛でず、却って艶美で陽気な風趣を愛でるなど老人のすることに似ていない。曽皙(そうせき)がこれをしたのは志が高く進んでなんでもやろうという狂者の心体の持ち主であったからだと。

4.  修養の工夫

吾人(ごじん)の工夫は、自ら?(もと)め自ら?(うかが)うに在り。義理混混として生ず。物有るに似たり。(げん)頭来処(とうらいしょ)を認めず。物無きに似たり。

岫雲斎

 自分の精神修養上の工夫は、自分の心の状態を知ること、自らそれを視察することに在る。さすれば、正しい道理が滾々として水が流れ出るように、そこに何物が在るかが分る。その根源は何処にあるか不明であり何物もないようでもある。これが心の本体というものであるようだ。

5.  胸中虚明

(きょう)()(きょ)(めい)なれば、感応(かんのう)神速(しんそく)なり。

岫雲斎

胸中が空っぽで透明であれば、誠心が通じて、その感応は実に神の如く迅速である。

(人間、真空の部分があるから人を惹きつける。()の一杯詰まっている人間に人は寄り付かない。)(こだわりの無い所に悟りの心が生まれる。)(応無所住而生(おうむしょじゅうにしょう)()(しん))

6.  心は(たいら)なるを要す

心は(たいら)なるを要す。(たいら)なれば則ち(さだま)る。気は()なるを要す。()なれば則ち(なお)し。

岫雲斎

 心は常に平安が望ましい。心が安らかであれば自ずと安定する。気は()わらぐことが必要だ。さすれば何事も素直に真っ直ぐに行うことが出来る。

(心、平らかなれば寿(いのちなが)し。白楽天)(長寿者は心が安らかな人が多い。菜根譚)

7.  ()は地、心は天

人は皆仰いで蒼蒼(そうそう)たる者の天たり、俯して?(たい)(ぜん)たる者の地たるを知れども、而も吾が()()(もう)(こつ)(がい)の地たり、吾が心の霊明知覚の天たるを知らず。

岫雲斎

 人々は、空を仰いで青々と際限なく広がるものが天であり、伏しては柔らかく固まつているのが地であることを知っている。然し、自分自身の皮膚、毛髪、骨骸などは地から承けたものであり、心の霊明にして知覚ある事は天から享受したものである事を知らずにいる。残念である。

8.  沈静(ちんせい)なる者と快活なる者

人と()り沈静なる者は、工夫尤も宜しく事上(じじょう)の練磨を勉むべし。恢豁(かいかつ)なる者は、則ち工夫宜しく静坐修養を忘れざるべし。其の実、動、静は二に非ず。(しばら)(やまい)に因って之に薬するなり。則ち是れ沈潜(ちんせん)なるは(ごう)もて(おさ)め、高明なるは柔もて(おさ)むるなり。

岫雲斎

 沈着な人物は精神修養の工夫は実際の仕事で鍛錬するのが良い。快活で落ち着きのない人間は、静坐して沈思し、修養工夫を忘れないことが肝要である。前者の方法は動的であり、後者は静的であるが、実は動と静と二つあるのではない。病気に応じて薬を処方するようなものである。則ち、引っ込み思案の人間には(つよ)い行いでその欠点をおさめ、出過ぎ易い人物には柔和を以てその欠点をおさめしめるものである。 

佐藤一斎「言志晩録」その二 岫雲斎補注 
9. 
聖人は人と同じからず、又(こと)ならず
(ふん)を発して()を忘る」とは、志気(しき)()くの如し。
「楽しんで以て憂を忘る」とは、心体是くの如し。
「老の(まさ)に至らんとするを知らず」とは、命を知り天を楽しむこと是くの如し。
聖人は人と同じからず。
又人と異ならす。

岫雲斎
憤激して食事を忘れるとは物事に没頭するの謂いであり聖人・孔子の志の謂いである。「物事が一たび理解されると非常に喜び楽しみ、一切の憂いを忘れる」と言う事は孔子の心の健全さを示す。「(いつ)に学び加齢を知らぬ」とは孔子が自分の天命を知り天道を楽しんだことを示す。聖人は「忘食、忘憂、忘老など普通人と同じでないようであるが、食をするし、憂も感じ、加齢もする、普通の人間である。(努力次第で我々も聖人になれる) 

10. 
本心あるを認めよ
学者は当に自ら己れの心有るを認むべし。而る後に(そん)(よう)に力を()、又当に自ら己れの心無きを認むべし。而る後に存養に効を見る。 

岫雲斎

 学問する学者は先ず自分には本心・本性のあることを認識しなければならぬ。この本性を操守し修養しててこそ向上の力が得られる。また、この修養により我欲は本性ではないと分るのだ。かくの如くして後に初めて本性・本心の存養効果が現れるのである。(孟子の存養。「その心を存し、其の性を養うは天に(つか)うる所以なり」)

11.
 
()()の説
認めて以て我と為す者は気なり。認めて以て物と為す者も気なり。其の我と物と皆気たるを知る者は、気の霊なり。霊は即ち心なり。其の本体は性なり。 

岫雲斎
自分で我と認めるものは気である。認めて物とするものも気である。だから主観も客観も気である。我と物は皆、気であることを知るものは気の霊である。霊とは即ち心なのである。その心の本体は天理を具えた性なのである。
(朱子語類「天地の間、理あり気あり。理なるものは形而上の道なり。物を生ずるの本なり。気なるものは形而下の器なり。物を生ずるの具なり。これを以て人物の生ずるや、必ずこの理を()け然る後に性あり。必ずこの気を稟け然る後に形あり。)(宋儒の理気説。「天地間まず理あり、然る後に気があって物を生ずる」) 

12.
人心の霊

「人心の霊、知有らざる()し」。只だ此の(いっ)()、即ち是れ霊光なり。(らん)()の指南と謂う可し。 

岫雲斎

 人の心の霊妙なる働きは、何事でも知らずにおかない事である。この知性こそ洵に人間を照らす不思議な光であり、この光こそ人間の情欲を適正に指導するものと言うことができる。(大学の章にあり、「蓋し人心の霊、知あらざるなく、天下の物、理あらざるなし」、嵐霧とは人間の情欲。)

13.
(いっ)(とう)を頼め

一燈を()げて暗夜(あんや)を行く。暗夜を憂うること勿れ。只だ一燈を頼め。 

岫雲斎
暗い夜道でも(いっ)(ちょう)提灯(ちょうちん)をさげて行けば、どんなに暗くとも心配しなさんな。ただその一つの提灯に頼めばよいのだ。(暗夜は人生行路、一燈は自己の堅忍不抜の精神。釈迦最後の言葉「アーナンダよ、汝自らを燈火とし、汝自らを依り所とせよ。他を依り所とするな。真理を燈火とし、真理を依り所とせよ。他を依り所とするな」)

14.

理は一つなり
「天下の物、理有らざる()し」。
この理即ち人心の霊なり。学者は当に先ず我に在るの万物を窮むべし。

孟子曰く「万物皆我れに(そなわ)る。身に(かえ)りみて誠なれば、楽焉(らくこれ)より大なるは()し」と。即ち是れなり。
 
岫雲斎
大学に「天下の事物は皆一つとして道理を備えていないものはない」とある。この道理とは人の心の不思議な作用に他ならない。道を学ぼうとする者は、先ず人間の本性の上にある万物の理を窮めなくてはならぬ。孟子は「万物の道理は、みな自分に備わっている。だから自分が反省して本性に備わっている道理の発動に誠実であればこれ程楽しいことはない」と言った。このことである。
15           

倫理と物理は同一

倫理と物理とは同一理なり。我が学は倫理の学なり。宜しく近く(これ)を身に取るべし。即ち是れ物理なり。 

岫雲斎
人の履むべき道と物事の道理には共通の理が存在する。我が修養の工夫である儒学は倫理の学問である。であるから、何事も自分を顧みて人倫に違わないようにしなくてはならぬ。これは物理の道理と同一ということである。

16.

人は善悪の穴中
にあり
人は皆是非の中に在りて日を送れり。然るに多くは是れ日間(にっかん)()()にて、利害得失の数件に過ぎず。真の是非の如きは、人の(たず)(いだ)(きた)る無し。学者須らく能く自らもとむべし。 

岫雲斎
人々はみな、善悪の穴の中で日々を送っている。然もそれは、日常の細かい事柄で、利益とか、得をしたとか、失敗したとか等の数件に過ぎない。道徳、倫理など真の是非に就いて尋ね出る者はいない。聖人の道を学ぶ学者は是非とも真の善悪を考えなくてはならぬ。

17

.克己(こっき)
(ふく)(れい)
濁水も亦水なり。一たび澄めば清水(せいすい)と為る。客気も亦気なり。一たび転ずれば正気と為る。逐客(ちっきゃく)の工夫は、只だ是れ克己のみ。只だ是れ復礼のみ。 

岫雲斎
濁り水も水であり澄めば清らかな水となる。から元気も気であり一転すれば正気となる。このから元気を追っ払って正気にする工夫は、ただ己の私欲に打ち克ち正しい礼にかえるだけである。

18.

理は理

理を窮む。理()と理なり。之を窮むるも亦是れ理なり。  

岫雲斎
物事の理を窮めようとする場合、その理は大自然に存在する理である。この理を窮めようとするのもまた理である。

19.

理と気は一つ
理は()と形無し。形無ければ名無し。形ありて而る後に名有り。既に名有れば、理(これ)を気と謂うも不可無し。故に専ら本体を指せば、則ち形後(けいご)も亦之を理と謂い、専ら運用を指せば、則ち形前(けいぜん)も亦之を気と謂う、並に不可なること無し。浩然の気の如きは、専ら運用を指せり。其の実は大極(たいきょく)の呼吸にして、只だ是れ一誠(いっせい)のみ。之を()(げん)と謂う。即ち是れ理なり。 

岫雲斎
理には本来は形が無いもので名称もない。形があって初めて名がつけられるものだ。然し、既に理という名前があるから理は気だと申して差し支えない。だから、専ら本体を指摘する場合は、形あって後、即ち形而下では理と言う。運用の側からは、形ある前、則ち形而上からこれを気と云っても悪くない。孟子の言う浩然の気は、専ら運用を指摘したものだ。その実は、宇宙の根源である大極が万物を造り天地を構成した。これは一つの誠あるのみだ。この誠の運用が気であり、誠の本体が理である。即ち誠を気の根源といい、これはまた理である。

20

万物は一体
程子(ていし)は「万物は一体なり」と言えり。(こころみ)に思え、天地間の()(せん)、動植、(ゆう)()、無知、皆陰陽の(とう)治中(やちゅう)より出で来たるを。我も其の一なり。易を読み理を窮め、深く(いた)りて之を自得せば、真に万物の一体たるを知らむ。程子の前には、絶えて此の発明無かりき。 

岫雲斎
(てい)明道(めいどう)は「万物は一体なり」と云った。考えて見ると、天地間の事は全て禽獣、虫魚、動植物、知あるもの、知無きもの、これ等はみな陰陽の二気より生じ育ったものである。我々人間も然り。易経を読み宇宙の原理を学び深奥の理に到達して、これを体得すれば、万物は全て一体であることを知ることができる。程明道先生以前には誰もこの原理を発明していない。
 

21.

九族一体
我が身は一なり。而も老少有り。老少の一身たるを知れば、九族の我が身たるを知る。

九族の我が身たるを知れば、古往(こおう)今来(こんらい)の一体なるを知る。

万物一体とは是れ横説(おうせつ)にして、古今一体とは是れ竪説(じゅせつ)なり。

(すべか)らく善く形骸を忘れて之を自得すべし。
 

岫雲斎
我が身は一つ。一つだが、少年時代もあれば老年もある。この老少とも同じ一身であることを自覚すれば、九族が全て我が身である事が分る。九族が我が身であることを知れば、昔から今に至る迄の人は皆一体であることが分る。程明道の「万物一体」とは横から説いた即ち空間的「古今一体」は(たて)から説いた即ち時間的である。これ等の事を我々は肉体を忘れて自ら悟らねばならない。我が身の大切さの所以を知る。
(九族=直系血族=高祖、曾祖、祖父、父、己、子、孫、曾孫、玄孫。)

22.

公事に処する心得
物我一体なるは、即ち是れ仁なり。我れ、公情を執りて以て公事を行えば、天下服せざる無し。治乱の機は公と不公とに在り。周子(しゅうし)曰く「己れに公なる者は、人に公なり」と。
伊川(いせん)又公理を以て仁字を()き、余姚(よよう)も亦博愛を更めて公愛と為せり。
併せ(かんが)()し。
 

岫雲斎
他の物と我と一体であると見る事は仁である。万人に共通し公平な人情に即した公平を以て公事を行えば天下の人々は服しないものは無く天下はよく治まる。乱れるかよく治まるかは公平と不公平に在る。周濂溪(しゅうれんけい)は「自分に公平な人は他人にも公平である」と説き、(てい)伊川(いせん)は「公平に行われる普遍的真理は仁である」と言う。王陽明は「博く愛する心とは公平に愛する心」だとした。これ等を併せ考えると公事に対処する心得が理解できる。

23

伝の伝と不伝の伝
此の学は、伝の伝有り。不伝の伝有り。(ぎょう)は是れを以て之れを舜に伝え、舜は是れを以て之れを()に伝うるが如きは、則ちち伝の伝なり。禹は是れを以て之れを(とう)に伝え、湯は是れを以て之れを(ぶん)、武、周公に伝え、文、武、周公は之れを孔子に伝えしは、則ち不伝の伝なり。不伝の伝は心に在りて、言に在らず。周濂溪(しゅうれんけい)明道(めいとどう)は、蓋し伝を百世の(もとと)に接せり。漢儒云う所の伝の如きは、則ち訓詁(くんこ)のみ。()に之れを伝と謂うに足らんや。 

岫雲斎
聖人の学には伝の伝と、不伝の伝とある。伝の伝と言うのは聖人の心を口伝えに伝えて行くものである。堯から順次に禹に伝えたのはそれである。禹から順次孔子へと伝えたのは口伝でなく時を隔ててその心を伝えたものであり、これは不伝の伝である。不伝の伝は心に在り言葉ではない。周濂溪(しゅうれんけい)明道(めいとどう)は百世の後に孔子の心に接したのである。漢の儒者の言う伝は、古文字の解釈だけであって、この伝というものには足りない。
 

24

中国思想の変遷と(たい)(きょく)図説
周子(しゅうし)(しゅ)(せい)とは、心の本体を守るを謂う。図説の自注に「無欲なるが故に(せい)なり」と。

(てい)伯子(はくし)此れに()りて、天理、人欲の説有り。
叔子(しゅくし)()(けい)の工夫も亦此に在り。朱、陸以下、各々力を得る処有りと雖も、而れども畢竟(ひっきょう)此の範囲を出でず。(おも)ざりき、明儒(みんじゅ)に至り、(しゅ)陸党(りくとう)を分ちて敵讐(てきしゅう)の如くならんとは。
何を以て然るか。今の学者、宜しく平心を以て之を待ち、其の力を得る処を取るべくして可なり。
 

岫雲斎
周子の静を主とするとは、妄想を棄て去り本心を守るということである。周子の哲学体系である太極に自注して「欲する無き故に静なり」とあるは、心の本体をかき乱す欲望を無くしてその本性を守れば自ら静を得ると云うことだ。(てい)伯子(はくし)(程明道は兄であるから伯子という)は、これに従い、人欲を棄てる時、心は
即天理となるとして、心これ理、理これ心という説を立てた。程叔子(程伊川は弟であるから叔子という)は、これにより自分の心の乱れは心に主とする物が無いからで、心に主あるとは敬であり、この敬を持して「主一無適」(心を専一にして他に行かず)なれば自然に天理は明らかであるとした。程叔子の「持敬の工夫」はここに在る。朱子や陸象山らの学者が、各々独特の見解を示したが結局は周子の説の範囲内である。然るに、明代となると、朱子派と陸象山派とが党を立て仇敵の如く争うことになったのは何の為か。今の学者は、虚心坦懐、公平に両者を見て夫々の長所を採れば善いのである。 

25

学に順序あり

学に次第有り。猶お弓を執り()(さしはさ)み、引満(いんまん)して発するが如し。(ただち)に本体を指すは猶お懸くるにこうを以てして、必中(ひっちゅう)を期するが如し。 

岫雲斎
聖人の学を修めるには順序というものが必要。ちょうど、弓を手に取り、矢を挟み、満月のように引き絞って矢を放つようなものである。直ちに本体を指して進む事は、弓の(まと)をかけておいて矢が必ず命中する事を期待するようなものだ。 

26.

儒学の流れ 

その一
孔・孟は是れ(ひゃく)世不遷(せいふせん)の祖なり。周・(てい)は是れ中興の祖、朱・陸は是れ継述(けいじゅつ)の祖、(せつ)・王は是れ(けい)(ちょう)の相友愛する者なり。 

岫雲斎
孔子と孟子は百世に亘り不変の聖学の祖である。北宋時代の周子と程子(ていし)兄弟は聖学中興の祖、南宋時代の朱子や(りく)象山(しょうざん)はその後を受け継いで説述に努めた継承者、明代の(せつ)敬軒と王陽明の二大学者は、仲の良い兄弟同士のようなものである。

27.

儒学の流れ 
その二

朱・陸は同じく伊・洛を宗とす。而れども見解梢々異なり、二子(にし)並に賢儒と称せらる。蜀・朔の洛と各党せるが如きに非ず。朱子()って曰く、「南都以来、(ちゃく)(じつ)の工夫を理会する者は、惟だ(それがし)()(せい)と二人のみ」と。陸子も亦謂う、「建安に朱元(かい)無く、青田(せいでん)陸子(りくし)(せい)無し」と。蓋し其の互に相許すこと此くの如し。当時門人も亦両家相通ずる者有りて、各々師説を持して相争うことを為さず。明儒に至り、白沙(はくしゃ)篁?(こうとん)()(よう)(ぞう)(じょう)の如き、並に両家を兼ね取る。我が邦の惺窩(せいか)(とう)(こう)も、蓋し亦此くの如し。 

岫雲斎

朱子と陸象山は同様に程子兄弟の学説を元する学者だか、見解はやや異なる。然し両人とも優れた学者と言われ、あの蜀党と朔党が洛党と争ったようなものではない。朱子は言った「宋が南に移ってから、着実の工夫を理解するのは、自分と陸象山のみである」と。陸子も「朱子の生地・建安にはもう朱子のような人物はいないし、陸子の生地・青田にも陸象山はいない」と。当時の門人たちも両家に出入りし合い互いに師説を固持して争うようなことは無かった。明代の学者、陳献章(白沙(はくしゃ))、程敏政(篁?(こうとん))、王陽明(()(よう))、湛若水((ぞう)(じょう))などの大儒はみな朱・陸二家の所説を併せている。わが国の藤原惺窩(せいか)先生も同様である。 

28
日本の宋学
その一
惺窩(せいか)(とう)(こう)林羅山(はやしらざん)に答えし書に曰く、「陸文安は天資(てんし)高明(こうめい)にして、措辞渾(そじこん)(こう)なり。自然の妙も、亦掩う可からず」と。又曰く「()(よう)は篤実にして(すい)(みつ)なり。(きん)(けい)は高明にして簡易なり。人其の異なるを見て、其の同じきを見ず。一旦貫通すれば、同じきか、異なるか、必ず自ら知り、然る後()まん」と。余謂う、「我が(くに)(はじめ)(れん)・洛の学を唱うる者を藤公と為す。而して早く(すで)に朱陸を併せ取ること是くの如し」と。羅山も亦其の門より出ず。余が(そう)()(しゅう)(けん)は学を()藤松(とうしょう)(けん)に受け、而して松軒の学も亦(とう)(こう)より出ず。余の藤公を欽慕(きんぼ)する、淵源の()る所、則ち有るか。

岫雲斎
林羅山は徳川家康の顧問、金渓の人は陸子、周軒は岩村候の老中、後藤松軒は三河人で諸侯の師。藤原惺窩が高弟の羅山に答えた「陸象山は生来高明、文章雄大、実に妙なり」と。
また「朱子は緻密にして深遠、陸子は高明かつ簡易。二人の文章の異なるを見て人々は同じ所を見ない。
根本を把握すれば自から分る。わが国最初の周子の学と程明道を唱えた
惺窩先生、早くから朱・陸を取り入れられたのし書面に示した通りだ。羅山もその門下だが、我が曽祖周軒は後藤松軒に学んだものだ。
その松軒も惺窩先生より出たものだ。惺窩先生をお慕い申しあげる源泉は実にここに有るのだ。
 

29
日本の宋学
その二
博士の家、古来漢唐の(ちゅう)()を遵用す。惺窩先生に至りて、始めて宋賢復古の学を講ず。神祖(しんそ)嘗って深く之を悦び、其の門人林羅山を挙ぐ。
羅山は、師伝を承継して、宋賢書家を折中し、其の説は漢唐と殊に異なり。
故に称して宋学と()うのみ。(あん)(さい)の徒に至りては、拘泥すること甚しきに過ぎ、羅山と梢々同じからず。
 

岫雲斎
古来から博士と言われる家では、漢唐時代の古註を堅持して用いてきた。惺窩先生らに至り初めて宋の儒者たちが提唱した孔子・孟子の古義に直接復古せんとして講義をされた。家康公は大いにこれを喜びその門人・林羅山を起用したのである。羅山は師伝を承継し、宋代諸賢説を折衷し、その説く所は漢唐の諸説とは別物であったので宋学と称したのである。山崎闇斉は、宋学一派に拘泥し過ぎて惺窩・羅山とはやや異なる。

30.
日本の宋学 
その三

惺窩・羅山は、其の子弟に課するに、経業は大略朱氏に依りて、而して其の取舎(しゅしゃ)する所は、特に宋儒のみならず。而も元明(げんみん)諸家に及べり。()(ほう)も亦諸経に於て私考(しこう)有り。別考(べつこう)有り。(すなわ)ち知る其の一家に拘らざる者顕然たるを。 

岫雲斎
惺窩や羅山は子弟に教授する場合、経書研究はおおかた朱子に準拠していた。ただ宋代儒学だけから採りあげたのではなく元・明代諸家の説にも及んでいた。林()(ほう)も諸経書に就いても自説を持ち、私考や別考を著している。これらの人々は唯一家の学に拘泥していないのは明白である。

31.          

徳性と問学
徳性を尊ぶ。是を以て問学に()る。
問学に()るは、即ち是れ徳性を尊ぶなり。
先ず其の大なる者を立つれば、則ち其の知や真なり。能く其の知を()めば、則ち其の功や実なり。
畢竟一条(いちじょう)()の往来のみ。
 

岫雲斎
人間が本来具えている徳性を尊ぶ、それを発揮するには学問によらねばならぬ、学問に拠るというのは徳性を尊ぶということなのである。大事なことは、真の知見を得ることである、これを窮めれば実の効果を挙げることが可能である。徳性を尊ぶと云い、学問を進めるというが、向上一路を行ったり来たりすることである。

32.
(てい)明道(めいどう)(てい)伊川(いせん)
明道の定性書は、精微にして平実なり。伊川の好学論は平実にして精微なり。()(らく)の源は(ここ)に在りて、二に非ざるなり。学者真に能く之を知らば、異同紛紜(いどうふんうん)の論()()し。 

岫雲斎
兄の(てい)明道(めいどう)の定性書は詳しく微細で平明着実である。弟の(てい)伊川(いせん)の「好学論」は、平明着実且つ詳細微細な論である。二程子の学風の源泉はここに在り二つでは無い。学問する者が之をよく知れば両先生の所説に関してゴタゴタした異同の論争は終息するであろう。
 

33.        
 
周子(しゅうし)(てい)伯子(はくし)は道学の祖
周子、程伯子は道学の祖なり。然るに門人或は誤りて広視豁(こうしかっ)()の風を成ししかば、南軒(なんけん)嘗って之を病む。朱子(よっ)()むるに逐次(ちくじ)漸進(ぜんしん)の説を以てす。然り而して後人又誤りて支離破砕を成すは、恐らく朱子の本意と乖牾(かいご)せん。
(せい)()し。
 

岫雲斎
子と程伯子(程明道)は道学、(宋代より発達した道徳学の元祖)である。しかし、門人がその本意を誤解し、放胆な風をする者が出たので朱子の友人・張南軒がこれを心配した。朱子はこれを矯正する為、順序立てて進む説を立てた。これすら人々は正しく理解せず、順序連絡を壊してしまった。これは朱子の本意とは食い違う。我々は反省を要する。

34.          
朱・陸の異同 その一
朱・陸の異同は、無極、太極(たいきょく)の一条に在り。余(おも)

えらく、「朱子の論ずる所、精到にして()う可からずと為す。然るに象山(しょうざん)尚お往復数回して()まざるは、亦交遊中の錚々たる者なり」と。但だ疑う、両公の持論、(へい)(せき)言う所と各々異なるを、朱子は無を説き、陸子は有を説き、地を易うるが如く然り。何ぞや。 

岫雲斎
朱子と陸子の論点の相違は、無極、太極の一条に在る。自分の考えは、朱子の論は詳しく精密で変更は不能であろう。然し、陸子は論弁往復数回にして止まなかったのは朱子の交友中に頭角を現した者たちであった。自分が疑うのは、この両先生の言う所が平生の主張と反対で、有を説くと思われる朱子が無を説き、無を説くと思われた陸子が有を説いて恰も立場が変わったように思われる点である。どうしたことなのであろうか。 

35
朱・陸の異同 その二
学人徒らに訓註の朱子に是非して、而も道義の朱子を知らず。

言語の陸子を是非して、而も心術の陸子を知らず。

道義と心術とは、途に両岐(りょうき)無し。
 

岫雲斎
世間の学者たちは、訓こ(くんこ)注釈の朱子をあれこれ批判するが、その本領と言うべき道義、即ち道徳面の朱子を知らない。また、言語の端を捉えて陸子を批評するが、彼の心術、即ち精神面について知らない。道義といい、心術というが、これら二つの本質は一つなのだ。 

36

陸象山、一派を立てることを嫌う

象山(しょうざん)れん溪(れんけい)明道(めいどう)を以て依拠(いきょ)と為せりと雖も、而も(はなは)だ門戸を立つるを(いと)えり。(かつ)て曰く「此の理の在る所、(いず)くに門戸の立つ可き有らんや。学者各々門戸を護るを(もと)む。此れ尤も鄙陋(ひろう)なり」と。(まこと)に此の言や、心の公平を見るに足る。 

岫雲斎
陸象山は周子と程伯子の学説を拠り所としているが、一派を立てるのを嫌った。
「この道理、何も一派を立てる必要があろうか。
学者は各々一派を立ててこれを護持しようとしているが、これは最も卑しい」と言った。
洵にこの言葉には心の公平さが現れている。

37
学者、党を分つは朱子の意に非ず
南軒、東莱(とうらい)は朱子の親友なり。
象山(しょうざん)龍川(りゅうせん)は朱子の畏友なり。後の学者は、党を分ちて相訟(あいあらそ)う。
恐らくは朱子の本意に非らじ。
 

岫雲斎
張南軒と呂東莱(とうらい)は朱子の親友、陸象山と陳龍川は朱子の畏友である。これらの人々は所説を異にしながら仲は良い。処が後世の学者は、党派を立てて相争っている。これは朱子の本意ではない。

38.
宇宙内の事は己れ分内(ぶんない)の事

象山の「宇宙内の事は、皆己れ分内の事」とは、此れは男子担当の志是くの如きを謂う。陳こう(ちんこう)此れを引きて射義を註す。極めて是なり。 

岫雲斎
陸象山は「天地間の事は皆自分の中の事、自分の中の事は皆これ天地間のこと」と言ったが、これは大丈夫たる者は、いかなる事でも、これを引き受けたら徹底的に解決すべきであるという意気込みを表したものだ。

    佐藤一斎「言志晩録」その三 岫雲斎補注 
(69~39)→(39~69)
69

陽明の門弟達
王龍渓()余姚(よよう)晩年の弟子たり。教を受くる日浅く、其の説高妙に過ぎ、遂に陽儒陰釈(ようじゅいんしゃく)(そしり)を来たせり。猶お宋代に楊慈(ようじ)()有りて、累を金渓に(のこ)すと同一類なり。其の他の門人にて、(すう)東廓(とうかく)((しゅ)(えき))欧陽(おうよう)南野(なんや)()(しょう)双江(そうこう)((ひょう))の如きは、並に(ひん)(ぴん)たる有用の人物たり。宜しく混看(こんかん)する無かるべし。 

岫雲斎
王龍渓は陽明晩年の弟子、その教えを受けた日が浅く陽明先生の真意に到達せず、その説が余りにも高遠玄妙に過ぎて遂に表面的には儒教を奉ずるも裏面は仏教であると云う誹謗を招来するに至った。それは宋代の楊慈(ようじ)()が陸象山に学び同様な誹謗を受け巻き添えをその師に残した事と同じである。陽明にはこの他、(すう)東廓(とうかく)欧陽(おうよう)南野(なんや)(しょう)双江(そうこう)があり、何れも学識人物とも立派な学者であり、王龍渓などと混同してはいけない。
 

68

三教論を評す

明季(みんき)林兆思(りんちょうし)は三教を合して一と為す。蓋し心斎、龍渓を学んでも而も伏せ者なり。此の間一種の心学の愚夫愚婦を誘う者と相類す。要するに歯牙にも足らざるのみる。  

岫雲斎
明の末期、林兆思(りんちょうし)は儒教・道教・仏教の三つを合して一とすることを唱えた。彼は王陽明学派の王心斎と王竜渓に学んだが陽明学の本旨を誤ったものであり議論かるに及ばないものである。

67
石田心学を評す
世に一種の心学と称する者有り。女子、小人に於ては寸益無きに非ず。
然れども要するに郷愿(きょうげん)の類たり。士君子にして此を学べば、則ち流俗に(しず)み、義気を失い、尤も武弁の宜しき所に非ず。
人主誤って之れを用いれば、士気をして怯懦(きょうだ)ならしむ。
殆ど不可なり。
 

岫雲斎
世間に心学と称する一種の学問がある。女子や小人には多少の利益がないではない。然し要するに郷土に於ける似非(えせ)学者の類いである。立派な人や士がこれを学べば凡俗に陥り、正義の意気を喪失する。だから、武士の学ぶべきものではない。万が一にも、殿様がこれを誤用するならば士の意気は沮喪し臆病にさせてしまい、宜しくない。
 

66.
大所高所に著眼せよ
大に従う者は大人(たいじん)と為り、小に従う者は小人と為る。
今の読書人は攷拠瑣猥(こうきょさわい)を以て能事(のうじ)と為し、畢生(ひっせい)の事業(ここ)(とどま)る。
亦嘆ず可し。
此に於て一大人(たいじん)有り。将に曰わんとす。
「人各々能有りて器使(きし)すべし。
彼をして
こつこつとして考索せしめて、而して我れ取りて以て之を用いば、我は力を労せずして、而も彼も亦其の能を(いた)して便なり」と。
試に思え、大人をして己れを視て以て器使()輩中(ぱいちゅう)の物と為さしむ。
能く忸怩(じくじ)たる無からんや。
 

岫雲斎
凡そ人々が学問をするに当り、大所高所に眼をつければ、大人物になれ、細かい所に眼をつければ小人物となる。現今の読書人は、字句の考証や、些細なつまらぬ事をして己の為すべき事をなしたように考えている。これでは一生の事業はここに止まってしまう、嘆かわしいことである。ここに一人の大人物がいて、後者の如き人に対して言う「人には各々特有の才能があるから、道具や器械に特殊用途があるように、人にもその才能に応じて使う事が可能である。その人をして、懸命に得意なことを考究させ、その結果を自分が利用できたならば自分は骨折りすることなく、然もその人も持てる才能を存分に発揮できる。こうしたならば、双方ともに便利ではないか」と。考えてみるがいい、他の大人物から自分のことを一種の器械として使用すべき仲間の一人とされるとしたら、学問をする者として誠に恥ずかしいことと心中に思わないでおられようか、おられないではないか。
 

65.

清儒(しんじゅ)の著書を読む場合の注意
(しん)(しょ)考拠(こうきょ)の学盛に行わる。其の間唯だ()二曲(じきょく)(?(ぎょう))黄黎州(こうりしゅう)(宗義(しゅうぎ))湯潜菴(とうせんあん)((ひん))澎南?(ぼうなんきん)(定求(ていきゅう))澎樹廬(ほうじゅろ)()(ぼう))の諸輩、並に此の学に於て見る有りと為す。要するに時好(じこう)と異なり。学者其の書読て、以て之を取舎(しゅしゃ)するを妨けず。 

岫雲斎
清朝の初め頃、考証学が盛んに行われた。
その内、李二曲、黄宗義、湯潜菴(とうせんあん)澎南?(ぼうなんきん)
澎樹廬(ほうじゅろ)らの人々の著書学問には見るべきものがある。
要するに彼らは時代の好みに対し、殊更に反対しているような傾向がある。
だから学問をする者はこれらの書を読み取捨選択しなければいけないのである。

64.
宋儒礼賛
漢儒(かんじゅ)(くん)()の伝は、(そう)(けん)心学(しんがく)の伝と、地頭(ちどう)同じからず。(いわん)や、清人考拠(しんじんこうきょ)の一派に於てをや。真に是れ漢儒輿()たいなり。(これ)を宋賢と為す所にくらぶるに夐焉(けいえん)として同じからず。我が党は()れの?()(きゅう)()つる()くば可なり。 

岫雲斎
漢代の学者が経書の字句の読み方や解釈に没頭していた事と、宋代の賢人たちが心学で聖人の学を伝えた事とでは全く畑が違い比較にならない。まして、清代の考証学派に至っては真に漢儒の卑しい召使のようなものである。
これを宋代の賢人たちの為した所と比較すると雲泥の違いがある。
我が党の学人は清朝考証学者の穴の中に落ち込むことが無ければ宜しい。
 

63.
心理は(たて)、博覧は横
心理は是れ竪の工夫、博覧は是れ横の工夫、竪の工夫は則ち深入(しんにゅう)自得(じとく)し、横の工夫は則ち(せん)()氾濫(はんらん)す。 

岫雲斎
内面的に心の本性を探求するのは竪の工夫であり外面的に博く書物を学び行くのは横の工夫である。
竪の工夫は、深く入り自得するに至る。横の工夫は浅くて真に自分のものとならずこぼれ出てしまう。
 

62.
今の学者は博と通を失う
今の学者は(あい)に失わずして、博を失い、(ろう)に失わずして、通に失う。 

岫雲斎
今の学者は学問の狭い為に失敗するのではなく博い為に失敗している。また学問が偏っているので失敗するのではなく何事にも通じているので失敗するのだ。(博と通が上すべりで学問の浅薄を指摘。)
 

61
.(せい)()入神(にゅうしん)と利用安身

義を(くわ)しくして、(しん)に入るは、(すい)(火打石)もて火を取るごときなり。用を利して、身に安んずるは、剣の室に在るごときなり。 

岫雲斎
精しく道理を研究し、神妙なる奥義に至るのは火打石から火を取り明かりをつけるようなものだ。日常の仕事を有利に処理し、身を安泰にする事は護身用の剣を部屋におくようなものである。これ等はいつでも活用でき、これ程安全なものはない。

60.

学は一生の大事
(しょう)にして学べば、則ち壮にして為すこと有り。
壮にして学べば、則ち老いて衰えず。
 老いて学べば、則ち死して朽ちず。 

岫雲斎
少年時代に学んでおけば、壮年になりそれが役に立ち何か為すことが出来る。壮年時代に学んでおけば、老年になり気力の衰えもない。老年になって学べば見識も高くなり寿(いのちなが)しであろう。

59
疑は覚悟の機
余は年少の時、学に於て多くの疑有り。
中年に至るも亦然り。
一疑(いちぎ)起る(ごと)に、見解少しく変ず。即ち学の梢々(やや)進むを覚えぬ。
近年に至るに及びては、則ち絶えて疑念無し。又学も進まざるを覚えぬ。(すなわ)ち始めて信ず。
白紗(はくしゃ)の云わゆる疑は覚悟の機なり」と。
()の道は窮り無く、学も亦窮り無し。今老いたりと雖も、自ら励まざる可けんや。
   

岫雲斎
自分は、若年の頃、学問上多くの疑問点があった。中年になっても同様であった。一つの疑問点が起きるたびに、物の見方が少し変化した。即ち学問が少し進歩したのを自覚した。処が近年(70才か)少し疑う心が無くなり、また学問も進歩前進の自覚が無くなった。そこで初めて、昔、白紗先生(
明の陳献章、性命学)の言われた「物を疑うと言う事は悟りを得る機会である」と言うことを信じるものだ。聖人の道は無窮であり、学問も無窮である。自分は高齢となったけれども、益々励まなくてはならぬと思う。

58.
孔子の弟子は皆、実践的
(がん)(えん)(ちゅう)(きゅう)は「請う()の語を事とせん」と。()(ちょう)は「(これ)を紳に書す」。子路は「終身之を(じゅ)す」。孔門に在りては、往々にして一二の要語を服膺(ふくよう)すること是くの如き有り。親切なりと謂う可し。後人(こうじん)の標目の類と同じからず。 

岫雲斎
(がん)(えん)(ちゅう)(きゅう)は、「孔子に教えられた言葉を実行する」と言い、子張は「紳(大帯の垂れた飾り)に書きつけて忘れないようにします」と言い、子路は「一生涯これを暗誦致します」と言った。孔子の弟子達は、このように一つ二つ大切な言葉を胸に記憶して片時も忘れないように努めた」これらは皆、誠に情が厚く丁寧であった。

57.
佐藤一斎の学風

古人は各々得力(とくりき)の処有り。挙げて以て指示す。可なり。但だ其の入路各々異なり。後人(こうじん)透会(とうかい)して之を得る能わず。(すなわ)ち受くる所に偏して、一を執りて以て宗旨と為し、終に流弊(りゅうへい)を生ずるに至る。余は則ち透会して一と為し、名目を立てざらんと欲す。蓋し其の名目を立てざるは、即便(すなわ)ち我が宗旨なり。人或は議して曰く「是くの如くんば、則ち(かじ)無きの舟の如し、泊処(はくしょ)を知らず」と。余謂う「心即ち柁なり。其の力を()くる処は、各人の自得に在り。必ずしも同じからざるなり」と。蓋し一を執りて百を廃するは、(かえ)って泊処を得ず。  

岫雲斎
古人が夫々自得したものを世間に公開することは宜しきことなり。ただそれら古人が自得した路が夫々異なりそれを見通して会得することが不能である。そこで各自が得た処に偏って立徳の本旨とするから色々と弊害が生まれた。自分はこれを見通して一個の宗旨を守ったり、或は一個の名目を立てたりしないようにと思う。この名目を立てない所が自分の本筋である。人は非難して「それは舵のない船で行き着く所が不明ではないか」と言う。自分はそれに答えて「我が心が舵である。その力のつけどころは各人が自ら得る所にあり必ずしも同一の鋳型にはめ込む必要はない」と答える。一つの宗旨に執着し他の百方を廃止したならば却って船の停泊所を得られない。

56.
自得は己れに在り
自得は畢竟己れに在り。故に能く古人自得の処を取り之を(よう)()す。
今人(こんじん)には自得無し。

故に鎔化も亦能わず。
 

岫雲斎
学徳を修める場合、自ら得る処があるのは、つまり自己努力に在る。だから自得の出来た人は更によく古人の人々の自得したものを持って来てこれを溶かして我が物にする。処が今の人々は自得が欠けているから古人の自得したものを溶かして自分のもとのする事が不能である。 

55.
人の言は虚心に聴くべし
独特の(けん)(わたくし)に似たり。人其の(にわか)に至るを驚く。平凡の議は(おおやけ)に似たり。世其の()れ聞くに安んず。凡そ人の言を聴くには、宜しく(きょ)(かい)にして之を(むか)うべし。(いやし)くも()れ聞くに安んずる()くは可なり。 

岫雲斎
 独特の見解というものは偏見に見える。その為、人々は過去に聞いた事のないものを突然聴き驚く。反対に、平凡な議論は恰も公論のように受け取られる。世間の人々は聞き慣れて安心があるからだ。全て、人の言は虚心坦懐に、即ち心を空っぽにして受け入れるがいい。耳慣れた話ばかりを良しとしてこれに安んじないことがポイントである。

54           
宇宙間のものは皆、一隆一替
宇宙間には一気斡旋す。
先を開く者は、必ず後を結ぶ有り。
久しきを持する者は、必ず転化有り。抑うる者は必ず(あが)り、滞る者は必ず通ず。(いち)隆一(りゅういっ)(たい)、必ず相倚(あいい)(ふく)す。(あたか)も是れ一篇の好文辞(こうぶんじ)なり。
 

岫雲斎
宇宙間には、一つの気が廻り回っている。その気の動きを観察すると、先に開いた者は後に結ばれて良い結果を得る。長くその気を持ち続けている者には必ず変化が現れ。抑えつけれぱ必ず揚がる。停滞すれば必ず通ずるといったものである。このように宇宙間の気は、盛んになったり衰えたりと起伏は常にあるものだ。これは恰も一篇の好文章のようなものである。
 

53.          

王陽明他二子の著書寸評
王文成の抜本(ばっぽん)塞源論(そくげんろん)尊経閣記(そんけいかくき)は、古今独歩と謂う()し。陳龍川の(しゃく)古論(ころん)、方正学の深慮論は、世を隔てて相頡頏(あいきっこう)す。並に有識の文と為す。 

岫雲斎
王陽明の「抜本論」と「尊径閣記」古今独歩のといわれる。陳龍川の「酌古論」、方孝儒の「深慮論」や方孝儒は、陽明とは時代は隔たっているが、優に匹敵する名文である。何れも見識に富んでいる。

52.
文章に就いて その二
(ぶん)()は以て其の人と為りを見る可し。(いわん)()た後に(りゅう)(たい)するをや。宜しく修辞立誠を以て瞠目と為すべし。 

岫雲斎
文章はそれによりその人物の人柄を見ることができるものである。まして後世までにも残るものだから充分に文字の使い方を練り誠心を表すことを眼目としなければならぬ。

51.

文章に就いて その一

文は能く意を達し、詩は能く志を言う。此くの如きのみ。綺語麗辞(きごれいじ)、之を(ねい)(こう)に比す。吾が(そう)(いさぎよ)しとせざる所なり。 

岫雲斎
文章は言わんとする所がよく達しておればよい。詩は心の向うものを言い表せば十分。綺麗な言葉や文句を並べるのは口先だけうまいことを申すようなもので我々の気持ち良しとしない。

50.
詩歌文章を作るは芸なり

文詞筆翰(ぶんしひつかん)は芸なり。善く之を用うれば、則ち心学に於て亦益有り。或は志を溺らすを以て之を病むは、是れ(えつ)に因りてて食を廃するなり。 

岫雲斎
詩歌文章を作るのは一つの芸である。これを善用すれば精神修養の学問としても益がある。だが溺れると志を喪失するからと気を病むのは、(むせ)ぶのが嫌だと申して食事をとらないようなものだ。

49書を著すに就いて 著書は只だ自ら()(えつ)するを要し、初めより人に示すの念有るを要せず。 

岫雲斎
自著というものは、ただ自分が心の喜び(()(えつ))を感ずれば良いものである。当初から人に見せるような気持ちではいけない。

48朱子の業績 朱子は春秋伝を作らずして、()(がん)綱目(こうもく)を作り、載記(たいき)を註せずして、儀礼(ぎれい)(けい)伝通解(でんつうかい)を網みしは、一大見識と謂う可し。啓蒙は欠く可からず。小学も亦好撰(こうせん)なり。但だ楚辞註(そじちゅう)(かん)(ぶん)(こう)()は有る可く無かる可きの間に在り。(いん)()、参同に至りては、則ち(ひそか)驚訝(きょうが)す、何を以て此の氾濫の筆を弄するかと。 

岫雲斎

朱子は「春秋」の伝を作らないで「()(がん)綱目(こうもく)」を作り、「載記(たいき)」に註を施すことなく、「儀礼(ぎれい)(けい)伝通解(でんつうかい)」を編集した。
これは大見識である。
「易学啓蒙」は必要欠くべからざるもの。
また朱子の「小学」も立派な著作である。
 

47. 
易経・書経・論語は最も大切
経書は講明せざる可からず。中に就き易、書、魯論を以て最緊要と為す。 

岫雲斎
儒教の経典は立徳の大元であるからこれを講義して明らかにしなくてはならぬ。中でも「易経」、「書経」、「論語」が最も大切である。

46.        
講書と作文について
講書と作文とは同じからず。作文は只だ習語を翻して漢語と做すを要す。講書は則ち漢語を翻して以て習語と做すをば、教授に於て第一緊要の事と為す。視て容易と為す可からず。

岫雲斎
書物を講義するのと文を作るのは同一なことではない。文を作るはただ日常語を漢語に直す事が必要。書物を講義するには漢語を翻訳して日常語にすることが教授する場合には第一に必要。ちよっと視ただけで何でもない仕事だと軽んじてはならぬ。深遠なものがあるのだ。

45.          
三経の考察
易は是れ性の字の註脚。詩は是れ情の字の註脚。書は是れ心の字の註脚なり。 

岫雲斎
「易経」は天の命、性とあるは天より受けた人間の本性の注釈である。「詩経」は邪悪なしという情緒を詠んだものであり情の注釈である。「書経」は我々の心理を推究したもので、心の注釈である。

44          
四書講説の心得
論語を講ずるは、是れ慈父の子を教うる意思、孟子を講ずるは、是れ(はく)(けい)の季を(おし)うる意思、大学を講ずるは、(あみ)(つな)に在る如く、中庸を講ずるは、雲の(しゅう)()ずるが如し。 

岫雲斎
「論語」を講義するには、慈愛ある父親が、子供に諄々と教える気持ち。「孟子」を講ずるには、兄が末弟に親しみを込めて教える心構え。「大学」は、条理整然と、恰も網を一本の綱で引き締めるような心持ち。「中庸」は、虚心坦懐に、雲が山の洞穴から出るような自然な心構えが望ましい。

43
講説の心得 
その二
講説は其の人に在りて、(こう)(べん)に在らず。「君子は義に(さと)り、小人は利に喩る」が如き、常人此れを説けば、(しゃく)(ろう)味無きも、象山此れを説けば、則ち聴者をして()(かん)せしむ。()易事(いじ)と為すこと勿れ。 

岫雲斎
講義は講ずる人の人物如何による。決して口先に在るものではない。論語「君子は義に(さと)り、小人は利に(さと)る」とある、普通の人間が講義すれば蝋を噛むような味わいとなろう。陸象山の講義は、流石に人格者だけにあって聴く者をしてみな自らを反省させ背中に汗を流させたという。講義と言うものは決して生易しいものではないと考えておかねばならない。 

42. 
講説の心得
その一
講説の時、只だ口の言う所は我が耳に入り、耳の聞く所は再び心に返り、以て自警と為さんことを要す。
吾が講(すで)に我に益有らば、必ずしも聴く者の如何を問わじ。
 

岫雲斎
門人たちに講義する時、自分の口から出る言葉が自分の耳に入り、耳に入った事が再び心に戻って来て、それを自分の警めとする事が大切である。自分の講義が自分の修養上の利益になるならば、必ずしも聴講者が如何に感じるかなど問題にしはない。

41.
動静二面の修養
余の義理を沈思(ちんし)する時は、胸中(ねい)(せい)にして気体収斂(しゅうれん)するを覚え、経書を講説する時は胸中(せい)(かい)にして気体流動するを覚ゆ。 

岫雲斎
自分は義と理に関して沈思する時は胸中安らかで、心も体も引き締まる思いがする。また門人へ経書の講義をする時は、胸がすっきりして元気の精が身体を流れているように感じられる。
 

40.

昔の儒者と今の儒者
古の儒は立徳の師なり。
「師厳にして道尊し」。今の儒は立言のみ。
言、徳に()らず。(つい)に是れ影響のみ、何の厳か之れ有らん。

自ら(かえりみ)みざる()けんや。
 

岫雲斎
昔の儒者は自ら道徳を確立していて人を教い世を導く存在でもあった。正に「師は厳格であり、その説く道理は尊いものであった」。だが、昨今の儒者は言葉だけであり、その言葉も徳に依るものでない。所詮、本物の影か響きを示すだけであるから厳格な所は無い。他人事ではない自分も反省しなくてはならぬ。 

39

.()(こう)(さい)
(かん)(せん)余姚(よよう)

「随処に天理を体認す」と。
呉康斉此の言有り。

而して甘泉以て宗旨と為し、余姚の良知を致すも、亦其の自得する所なり。

但だ余姚の緊切たるを覚ゆ。
 

岫雲斎
「随処に天理を体認す」は明の学者呉康斉の言葉である。同じく明の学者、湛若水は、この言葉を自己主張の本旨とした。王陽明の「良知を致す」は天理に一致するものとし、これを明らかにするには人欲を棄却しなければならない。この工夫も自得行為である。ただ、陽明の言葉の方が自己に緊要切実に感じる。

      佐藤一斎「言志晩録」その四 岫雲斎補注 
70
人の長所を視るべし
我は当に人の長処を視るべし。
人の短処を視ること勿れ。

短処を視れば則ち我れ彼に勝り我に於て益無し。

長処を視れば則ち彼れ我れに勝り我に於て益有り。
 

岫雲斎
人間を看るにはその人の優れている点を見て欠点を看ないのがよい。短所を看れば己が勝っていると驕りの心が生じて修養にならない。反対に人の長所のみ看れば、己が劣っている事を知らされるから反省により自己練磨に励むこととなり誠に有益である。

71.
志は高く、身を持するは低く
志、人の上に()ずるは、倨傲(きょごう)(そう)に非ず。
身、人後に甘んずるは、萎でつ(ろう)に非ず。
 

岫雲斎
志が人より上にあるからと云って決してそれは傲慢な想いではない。身を持するに際して人の後についていることは別にいじけた醜い態度ではないのである。
(志の高尚さと謙譲な処世)

72.
聖人の心と態度
聖人の心は、辞気容貌に(あら)わる。
其の地と人に於て各々異なり。未だし知らず、孔子の(いり)吏、乗田(じょうでん)たりし時、長官に於ける果して何如(いかん)なりしかを。
郷党にも載せず。学者宜しく推勘すべし。
或は曰わん「和悦にして(あらそ)う」と。
 

岫雲斎
聖人の心は、言葉の語気や顔貌に現れる。而も場所や相手により異なる。孔子が若い時、会計官や牧場の役人をしていた時、所属の長官にどのような態度をされたのかは分らない。論語の郷党篇にも掲載がない。学者の諸君は一つ推考してみては如何。「ニコニコしておられたのであろうが、問題発生の折には中々手ごわい」のではなかったか。

73.
心で悟った事は言えない
目に()る者は口()く之を言う。耳に聞く者は口能く之を言う。心に得る者に至りては、則ち口言う(あた)わず。
()し能く言うとも、亦()だ一端のみ。
学者の迎えて之を得るに在り。
 

岫雲斎
目で見たものは、口でよく説明できる。耳で聞いたものは同様に口でよく説明が可能。だが、心で悟ったものは口で説明することが出来ない。もし説明したとしてもほんの部分だけしかできない。だから学問をする者は自分の心で相手の心を推し量って暗黙のうちに会得するものだ。

74.
読書と静坐を一時に行う工夫

吾れ読書静坐を()って()して一片と()さんと欲し、(よっ)て自ら之を試みぬ。経を読む時は、(ねい)(せい)端坐し、(かん)(ひら)きて目を(しょう)し、一事一理、必ず之を心に求むるに、(すなわ)ち能く之れと(もっ)(けい)し、(こう)として自得する有り。此の際真に是れ無欲にして、即ち是れ(しゅ)(せい)なり。必ずしも一日各半の工夫を()さず。

岫雲斎
朱子は「半日静坐、半日読書」と言ったが自分は、読書と静坐を併せて一回にしようと試みた。経書を読む時は、安静に端坐して書物に目を通し、一つの事柄、一つの道理を心に深くよく考えると無言の間に自分の心と書物とが交流して良く融合し、会得するものがある。この時は真に無欲であり、一点の邪念も無く静になりきった状態である。だから半日読書、半日静坐をする必要はないのである。

75
端坐して経書を読む
端坐して経を読む時は、間思(かんし)妄念(もうねん)自然に消滅す。
猶お香気室に満ちて、蚊ぼうの入る能わざるがごとし。
瞑目調(めいもくちょう)(そく)
の空観に似ず。
 

岫雲斎
端然と坐して経書を読む時には、一切の煩悩妄想が自然と消え去り、それは室内に良い香りが満ちておれば蚊やねきり虫などが入ることが出来ないようなものである。この境地は、眼を(つむ)り呼吸を調える禅の空観でもない。
76.経書は心で読め 経を読むには、宜しく我れの心を以て、経を読み、経の心を以て我れの心を()くべし。然らずして、徒爾(とじ)訓詁(くんこ)を講明するのみならば、便(すなわ)ち是れ終身(かっ)て読まざるがごとし。 

岫雲斎
経書を読むには、自分の心で経書の真意を読み取り、また経書の真意で自分の心を解釈するのがよい。
そうしないで、徒らに、文字の意義や解釈を講じ説明するだけなら生涯、書物を読まなかった事と同じ様となる。

77.
人は地に生れ地に死す
人は地気の精英たり。地に生れて地に死し、畢竟地を離るること能わず。宜しく地の体の何物たるかを察すべし。朱子謂う「地(かえ)って是れ空闕(くうけつ)の処有り。天の気貫きて地中に在り。郤って虚にして以て天の気を受くる有り」と。理或は然らん。余が作る所の地体の図、知らず、能く彷彿を得しや否やを。 

岫雲斎
人間は地の気の精妙なる英気である。地に生まれ、地に死し、生涯、地を離れることは出来ない。だから地の本体がどういうものかを考えるべきである。朱子は「地には却って欠けた所があり、天の気がその欠けた所を貫いて地中に通じている」という。その地の虚、即ち欠けた所に天の気を受ける」と言った。理屈はそうかもしれない。自分の作った地体図は果してこの朱子の思考に幾らか似ているのであろうかどうか。

78
震の易理

震は、(けん)(よう)の初気たり。則ち()(げん)なり。其の発して離虚に感ずれば、則ち雷霆(らいてい)と為り、(かん)(じつ)(地中の深い穴)に触るれば、即ち地震と為り、人に於ては志気と為る。動天境地の事業も、亦此の(しん)()に外ならず。 

岫雲斎
易によると、震は(けん)(よう)の初めて発動する気の(もと)である。この気が発動して離の虚に感ずれば雷霆(らいてい)となる。(かん)の実(地中の深い穴)に感ずれば地震となる。人間に於ては「やる気」になる。世間を驚かすような大事業すらこの震気の発動に他ならない。

79
.()(かい)丹田(たんでん)
に気を充実せしめよ

人身にて(せい)(じゅ)()(てい)と為せば、則ち震気は此れよりして発しぬ。宜しく実を臍下(せいか)に蓄え、虚を臍上(せいじょう)()れ、呼吸は臍上(せいじょう)(あい)消息(しょうそく)し、筋力(きんりょく)は臍下よりして運動すべし。思慮(しりょ)云為(うんい)、皆(これ)根柢(こんてい)す。凡百(ぼんぴゃく)の技能も亦多く此くの如し。 

岫雲斎
人間の体では、臍は母胎にある時から気を受ける場所であり生々の気は臍下(気海丹田)に蓄え。
だから、臍上の力を抜いて、呼吸は臍上と相通じ、筋力は臍下から発するようにして体を動かすべきである。
物事を考えるのも、何事かなそうとする時も、みなここに根源がある。
あらゆる技能も皆、実に臍下(せいか)の「気海丹田」に力を充実させることに基づかないものはない。

80.
震と(ごん)との易理
「其の(はい)(とどま)り、其の身を()ず。其の庭に行きて其の人を見ず」とは、敬以て誠を存するなり。
「震は百里を驚かす。
匕鬯(ひちょう)(神に捧げる香りある神酒)を喪わず」とは、誠以て敬を行うなり。
震艮(しんごん)正倒(せいとう)して、工夫は一に帰す。
 

岫雲斎
「背中を見ただけならその人の顔付は分らない。人の庭を見ただけでは、主人の顔は分らない」。これは、顔を見ると雑念が沸くが、見なければ無心でいられるから敬してなお誠が存在していることである。「雷鳴が百里の遠きを驚かすことがあっても、宗廟の祭祀に匙や香酒を取る者はそれを取り落とさない」ということは、誠を以て敬を行うからである。それは震()(こん)()は全く反対のものだが結局は一つの工夫に帰着するものである。

81.
暗夜と明昼(めいちゅう)

暗夜に坐する者は体躯(たいく)を忘れ、明昼に行く者は、形影(けいえい)を弁ず。

岫雲斎
暗夜に坐っている者は、自分の体を忘れてしまって自分の真の心を知り得る者である。昼間の明るい道を行く者は自分の形や影をしっかりと見分けられるが自分の心を忘れている。(常に修養をの教え)

82.        
  
誠意は夢幻に非ず。
誠意は夢寐(むび)に兆す。不慮の知然らしむるなり。 

岫雲斎
真の誠の心は、夢、幻の間にその兆候が現れる。これは人間に自然に備わっている知能がそうさせるのである。

83.  
不慮の知と不学の能
天を以て感ずる者は、不慮の知なり。天を以て動く者は不学の能なり。 

岫雲斎
天意を直観するとは特に考えなくても分る知能。天意により動くのは学ばないで持つ先天的能力である。(良知は生来のもの。)

84.      
学術の誤用は不可
霊薬も用を誤れば則ち人を(たお)し、利剣も(へい)(さかさま)にすれば則ち自ら(そこな)う。学術も(ほう)(そむ)けば、則ち自ら?(そこな)い又人を(そこな)う。 

岫雲斎
よく効く薬も用い方を誤れば人を殺す。切れ味のよい刀も柄を逆さまに持てば自分を傷つける。
同様に、学問技術も正しく活用しなければ己を損い人をも害する。

85 
治心の法
治心の法は、(すべか)らく()(せい)を至動の(うち)に認得すべし。呂涇(ろけい)()(明代の人)に謂う「功を用うる必ずしも山林ならず。
()(ちょう)も亦()()」と。此の言然り。
 

岫雲斎
ややもすれば乱れようとする心を治める方法は、出来るだけ静かな心を忙しい活動の間にも意識して持つことである。呂涇(ろけい)()は「精神修養を達成するには何も静かな山林でなくても雑沓(ざっとう)の市街地の中でも可能である」と云っている。将に然りである。

86.          
体は充実して虚、心は虚にして実
体は実にして虚、心は虚にして実、中孚(ちゅうふ)(しょう)即ち()れなり。 

岫雲斎
身体は実体があるが、これを忘れて虚にする。心は見えなくて虚であるが活動の本源であり実体である。
易経の中孚の象がこの理屈を示している。

87.          
満を引く心
満を引いて度に(あた)れば、発して(くう)(せん)無し。
人事宜しく(しゃ)の如く然るべし。
 

岫雲斎
弓を引くに当り、存分に引き絞って的に当てれば決して無駄の矢はない。人間の仕事もこの弓を射る如く十分の準備をして決行すれば失敗することはない。

88.          
武技参観の法
余は好みて武技を演ずるを観る。之を観るに目を以てせずして心を以てす。
必ず先ず呼吸を収めて、以て()れの呼吸を(むか)え、勝敗を問わずして、其の順逆を視るに、甚だ適なり。
此れも亦是れ学なり。

岫雲斎
自分は好んで武技の試合を観るが、これは目で見ないで心で観るのである。必ず先に呼吸を整える、そして演技者の呼吸を窺い、その勝敗に頓着することなく、そのやり方が順か、逆が、即ち正しいのか正しくないのかを観るのである。この観方(みかた)は極めて的中しており正しい呼吸をしている者が勝利を得ている。これも一つの学問というべきである。

89.          
武士はその名に副うべし
凡そ()君子(くんし)たる者、今皆武士と称す。
宜しく自ら其の名を顧みて以て其の実を責め、其の職を努めて以て其の名に副うべし。
 

岫雲斎
人の上に立つ士君子、今はみな武士と言う。これらの人々は世間の名誉を鑑み、果して自ら武士たるの実を挙げているか反省して職務に努め武士の名に相応しい言動をとらなければならぬ。

90.          
武士が文を志す場合
士にして文に志すは、是れ武に居て文を学ぶなり。(きょ)(ぶん)にして以て柔惰(じゅうだ)なること勿れ。(きょ)()にして以て躁暴(そうぼう)なること勿れ。 

岫雲斎
武士で文芸に志す人は、武士の位にいて文芸を学ぶのである。故に、実のない空虚な文を作り軟弱になってはならない。そうかと言って、実のない空威張りの武士になり粗暴になってもならぬ。

91.          
殉国は乱世に易く治世には難し

国乱れて身を殉ずるは易く、世治って身を(さい)するは難し。 

岫雲斎
国家が乱れている時、一身を国家に捧げるのは困難なことではない。世が治まっている時には国の為に粉骨砕身の奉公するというのは困難なことである。((さい)は粉々に砕く)

92. 

英気はなくてはならぬ
前人(ぜんじん)謂う「英気は事に害あり」と。余は則ち謂う「英気は無かる可からざる」と。
但だ圭角(けいかく)(あら)わすを不可と為す。
 

岫雲斎
古聖人は謂う「勝れた気象はやり過ぎの傾向あり、事を為すに害あり」と。然し自分は「優れた気象が無ければ良い仕事は出来ないから、それは絶対に必要だ」と。ただ角張った鋭さを剥き出しにするのは宜しくない。

93.          
剣に勝つ方法

刀槊(とうさく)の技、(きょう)(しん)抱く(いだ)く者は(じく)し、勇気を頼む者は敗る。必ずや勇怯(ゆうきょう)(いっ)(せい)(ほろぼ)し、勝負を一動に忘れ、之を動かすに天を以てして、(かく)(ぜん)として(たい)(こう)なり。之を(しずか)にするに地を以てして、物来れば順応す。是くの如き者は勝つ。心学も亦此れに外ならず。 

岫雲斎
剣術、槍術の試合では、臆病な心を持つ者は敗れる。
また勇気のみに頼る者も敗れる。勇気とか臆病の観念を唯一の静の中に埋没させて気を沈め、勝敗を唯一つの動の下に決する事も忘れ、自然に雄大な気持ちの動くまま動き、からっとした心地で、将に公明正大、その静に止まる大地の静寂不動の如く、ひとたび物が来れば即反応す、この様にする者は必ず勝つ。心の学も同様である。

94.          
護身の堅城(けんじょう)

乙を甲に執り、甲を乙に(ぞう)す。之を護身の堅城と謂う。 

岫雲斎
柔は剛に、剛を柔に隠す。つまり、剛のうらには柔、柔のうらには剛、という風に何事も一方に偏らないようにすることが我が身を守る堅い城である。

95.          
形は(ほう)に、行動は円く
形は方を以て(とどま)り、勢は円を以て動く。城陣(じょうじん)行営(こうい)、其の理は一なり。 

岫雲斎
形は正しく四角に整える。それを動かすには円く、自在に変化する。城郭や陣屋、行軍や営舎などは全て同じ理由に依拠して考え行動すべきである。(形は心身ともきちん整えて行動は柔軟に。)

96.          
軍隊にも礼楽
軍旅にも亦礼楽あり。 

岫雲斎
軍隊は殺伐なものだけでなく、礼儀も音楽もある。

97.      
兵家(へいか)は心胆を練る
兵家は心胆を練ることを説く。
震艮(しんごん)の工夫と彷彿たり。
 

岫雲斎
兵法家や武芸を行う者は、肝っ玉を鍛練することを説いている。震艮(しんごん)の工夫と似ている。(震は活動、艮は静止。一朝有事は動、日頃、肝っ玉を練るは静、即ちと我が身を慎み、敬以て誠を尽くす。)

98.     
義と勇
我れ無ければ則ち其の身を()ず。即ち是れ義なり。物無ければ則ち其の人を見ず。即ち是れ勇なり。   岫雲斎
人間は無我の境地にあると自分の身を忘れる。この場合、ただ正義感のみ存在する。また、人間、物欲の念が無ければ、眼中人無し、存在するのは千万人と雖も我往かんの気概だけであり、これが勇気である。
99.          
無我・無物の状態
「自ら反りみて(なお)ければ」とは、我れ無きなり。「千万人と雖も吾往かん」とは、物無きなり。 

 

岫雲斎
「自分の良心に顧りみて、真直ぐてで少しも恥ずることが無い時」は、無我の境にある時である。「千万人の中へでも飛び込んで往こう」とする勇気ある時は、まさに念頭は無物の状態に在る。
 

100.          
呉子の説く道

「道とは(もと)(かえ)り始に(かえ)る所以なり」と、()()()に見ゆ。兵家の此の道学を講破せんとは。 

岫雲斎
「軍隊の道と雖も結局は人間の本性にかえり、人間の当初の目的に帰るのだ」とは呉子という兵法書にある。余は、兵法家の呉起が、人間の根本問題である道徳を説き破っていようとは思っていない。

   佐藤一斎「言志晩録」その五 岫雲斎補注 
101.          
覇者と王者
「努めて英雄の心を()る」とは、覇者之を(もち)う。
「天下の従う所を以て、親戚の(そむ)く所を攻む」とは、王者之を(もち)う。
 

岫雲斎
「可能な限り英雄豪傑の心を持つ」とは、武力を以て天下を治めんとする者の心得である。「天下万民の従う所を基とし、親戚の者でもこれに背けば攻める」とは、徳を以て治めようとする者の活用することである。 

102.          
武王の心事
前徒(ほこ)(さかしま)にし、後を攻めて以て()
武王の心、此の時果して何如(いかん)。以て怪と為すか。
蓋し亦(そく)(ぜん)として痛み、或は()ずる有らん。
 

岫雲斎
周の武王が殷の紂王を伐った時、紂王は迎撃せんとしたが、紂軍の前軍は、戈を倒にして味方を撃ってきた為に紂軍は敗北した。この時、武王の気持ちはどうであったか。快哉を叫んだか。思うに、これを痛ましく慨嘆しまたは紂王の臣をして、これに叛かしめた事を恥ずかしく思わなかったのか思ったであろう。 

103.          
彼を知るは易く、己を知るは難し
彼を知り己を知れば、百戦百勝す。彼を知るは、難きに似て易く、己を知るは、易きに似て難し。 

岫雲斎
孫子の言葉「敵情を知り、味方の情勢をよく知れば百戦百勝す。敵情を知ることは難しそうで難しくない。だが味方の情勢は容易なようで実は困難である。

104.          
兵家の虚と実
敵、背後に在るは、兵家の忌む所、実を避けて虚を撃つは、兵家の好む所、地利の得失、防御の形勢、宜しく此れを以って察を致すべし。 

岫雲斎
背後に敵がいることは戦う者にとり嫌なことである。敵の準備の充実している場所を避け、備えの無い所を突くのは兵家の好むものである。地の利の良し悪し、防御の形勢など色々の考察が必要である。

105.          
人心を頼むべし
器械を頼むこと勿れ。当に人心を頼むべし。
衆寡(しゅうか)を問うこと勿れ。当に師律を問うべし。
 

岫雲斎
戦いには武器を頼りとするな、人心の和こそ頼りとせよ。軍勢の多さを気にせず、軍律の維持こそ注意しなくてはならぬ。

106.          
江戸の火消し

都城(とじょう)には十隊八方の防火を置く、極めて深慮有り。
蓋し専ら撲滅に在らずして、而も指揮操縦の熟するに在り。
侯家(こうけ)も亦宜しく其の意を体し、騎将(きしょう)をして徒らに其の服を華麗にし、以て観の美を競わしむる(なか)るべし。得たりと為す。
 

岫雲斎
火事の都の江戸には十隊の(じょう)消しを八方に配置しているが、これには深い考えがあるのだ。それは、火事を防御するというだけでなく、戦時に於いて指揮操縦の熟達を狙っているものである。諸大名は、その意のある所を承知して火消しの指揮操縦の服装を徒らに華美にしてその美を競争させないようにすれば誠に結構なことである。

107.          
国初の武士と今の武士
(こく)(しょ)の武士は、上下皆泅泳(しゅうえい)を能くし、調騎(ちょうき)相若(あいひと)し。今は則ち或は(なら)わず。恐らくは欠事たらん。軍馬は宜しく野産を用うべし。古来駿馬は多く野産なり。余は少時好みて野産を馭したりしが、今は則ち老いたり。鞍に拠りて顧眄(こべん)する能わず。歎ず可し。 

岫雲斎
江戸初期の武士は、上下ともみな泳ぎが巧かった。乗馬も同様であった。現今の武士は、水泳は習わないのは欠点である。軍馬は野生の馬がよい。昔から優れた軍馬はみな野生のものである。自分は幼少時代、好んって、馬に乗り、鞍に拠りかかって後を振り向いて威勢を示すことが出来ない、嘆かわしいことである。 

108.          
昔の弓
我が(くに)は、古より弓箭(きゅうせん)に長じ、然も古に於ては、皆(ぼく)(きゅう)にて、即ち謂わゆる(あずさ)(ゆみ)なりき。或は謂う、木弓は騎上(きじょう)最も便なりと。須らく査すべし。 

岫雲斎

わが国は昔から弓術に長じていた。しかも、昔はみな木で作った梓弓である。或る人いう、「木弓は馬上で最も便利だ」と。十分に調べる必要がある。

109.
攻法あれば守法あり

功法有れば、必ず守法有り。大砲を(ふせ)ぐには、聞く、西蛮(せいばん)(たん)牛革(ぎゅうかく)を用い、形、(おく)(だい)なりし。須らく査すべし。 

岫雲斎
攻める方法があれば必ず守る方法もある。西洋では大砲を防ぐのに鍛えた牛の皮を用いるといい、その形は一つの家屋の大きさだという。調べる必要がある。

110.          
江戸期の常備品考
什器中、宜しく(しゅく)遠鏡(えんきょう)を置き、又大小壷盧(ころ)(もたら)すべし。並に有用の物たり。欠く可からず。 

岫雲斎
戦争用の器具では、望遠鏡と、大小のひさご(瓢箪)の準備が必要で、共に欠くべからざるものた。

111.           地道と天道 地道の秘を(ぬす)む者は、以て覇を語る可く、天道の(うん)を極むる者は、以て王を言う可し。 

岫雲斎
人間界の秘密を知る者は覇道を語ることができ、天の道の奥義を知る者は王道を語ることができる。

112.          
事物必ず対あり
天地間の事物必ず対有り。相待って固し。嘉ぐう(かぐう)怨ぐう(えんぐう)を問わず、資益(しえき)(そう)()す。此の理(すべか)らく商思(しょうし)すべし。 

岫雲斎
天地の間のものは必ず相対的なものである。両々相まって物事を堅固に組成している。良い相手も悪い相手もあるが、互いに助け合って相互に益している。この原理をよく考えなくてはならぬ。

113.          
備えあれば患なし
英傑は非常の人物にして、()不世出(ふせいしゅつ)たり。然れども下位に屈して志を得ざれば、則ち其の能を(ほしいまま)にする能わず。幸に地位を()れば、則ち或は遠略を図ること、古今往々に之れ有り。
知らず、当今諸蛮(しょばん)(くん)(ちょう)の人物果して何如(いかん)を。
蓋し(そなえ)有れば(うれい)無し。我れは()だ当に(いましめ)を無事の日に致すべきのみ。
 

岫雲斎
英雄豪傑は非凡の人物で滅多に現れるものではない。然し、このような人物でも低位にいてその志を表せないでいると其の才能を存分に発揮できない。幸いにして立派な地位を得ると、遠大に経略を企図して偉大な業績を成すものである。その事は古今にしばしば見られる。現在、諸外国の君長たちは果してどんな人物か知らぬが、思うに彼等が如何なる人物であろうとも、平素、自己に備えがあれば何らの懸念はいらない。わが国に於いては、ただ無事泰平の時に警戒を怠るべからずである。

114.          
民心を結び金城湯池とせよ
海警(かいけい)は予め(そなえ)えざる可からず。然れども環海(かんかい)の広き、其れ以て尽く防禦を為す()けんや。固く民心を結び以て金城湯池と為すに若くは()し。沿海皆能く是くの如くば、外冦(がいこう)()と為すに足らじ。然らずんば数万の巨熕(きょこう)を設くと雖も、亦以て(こう)(じゅ)に資するに足らん。益無きなり。 

岫雲斎
海辺の警備は予めよく備えをしておかなければならぬ。然し、わが国を取り巻く海は極めて広く、全てに渡り防禦するわけには参らぬ。だから、国民の心を固く結び、国全体を金城鉄壁とするに勝るものはない。沿岸地方が皆そうすれば、外敵は少しも恐れる必要はない。さもなければ、例え数万の大砲を海岸に据えつけても、敵を助けるだけで何の役にも立たぬ。 

115.          
士気を振起(しんき)するの率先のみ
士気振わざれば、則ち防禦固からず。
防禦固からざれば、則ち民心も亦固きこと能わず。
然れども、其の士気を振起するは人主の自ら奮いて以て率先を為すに在り。
復た別法の設く可き無し。
 

岫雲斎
国民の士気が振わなければ国家の防禦を堅固にはできない。防禦が堅固でなくては国民の団結心も堅固にならない。その士気を振い起すのは人の上に立つ君たる人が自ら振起し国民の先頭に立って見本を示すことである。それ以外にの方法は無い。

116.          
海防は民和が先
海防の任に(あた)る者は、民和を得るを以て先と為し、器械は之れに次ぐ。又須らく彼此(ひし)の長短を(くら)べて、以て趨避(すうひ)を為すべし。尤も釁端(きょたん)(ひら)きて以て後患(こうかん)(のこ)すみと()きを要す。

岫雲斎
海岸防備の任に当たる人は、民心の一致和合を先努として防備器械は第二の問題である。敵味方の長短を比較吟味して取捨選択が肝要である。
大切なことは、不和の端緒を作り後顧の憂いを残さぬことである。

117.          
鎖国時代の考え

我が(くに)独立して、異域に仰がざるは、海外の人皆之れを知れり。旧法を確守するの善たるに()かず。功利の人は、事を好む。(みだ)りに聴く可からず。 

岫雲斎
わが国は独立国家で何物も海外に求めないことは外国も知っている。だから昔通りの古い掟を確実に守って行くのは良いことである。功利に走る人は事を好み開国と通商を唱えているが濫りに耳を傾けてはいけない。

118.          
長崎での話
余は往年、()に遊び、崎人(きじん)の話を聞けり。
曰く「漢土には不逞の徒有りて、多く満州に出奔し、満より再び蛮舶(ばんぱく)に投ず。
故に蛮舶中往々漢人有りて、之が耳目たり。
憎む可きの甚だしきなり。今は漢、満一家関門(かんもん)厳ならず。奈何(いかん)ともす可からず」と。
 

岫雲斎
先年長崎に行き長崎人から聞いた話である。「漢の国では悪い者は満州に逃げ出し、満州から西洋の船に乗る。だから西洋の船には時々中国人がいて、西洋人は彼らを水先案内や土地の事情を聞く役に使っている。甚だ憎むべきものだ。今は漢と満州は一家となり、その間の関所が厳重でなく自由に出入できるから、どうすることも出来ない」。聞き捨てならぬ話である。

119.          
勝って驕らず、負けて挫けず

戦伐の道、始に勝つ者は、将卒必ず驕る。
驕る者は怠る。怠る者は或は(つい)(じく)す。
始に忸する者は、将卒必ず憤る。憤る者は励む。
励む者は遂に終に勝つ。
故に主将たる者は、必ずしも一時の勝敗を論ぜずして、只だ能く士気を振励(しんれい)し、義勇を鼓舞し、之をして勝って驕らず、忸して挫けざらしむ。是れを要と為すのみ。

岫雲斎
戦争の常道は、初めに勝った者は大将も兵卒も必ず慢心する。慢心すれば怠ける、怠ける者は終わりには敗北する。反対に初めに負けた者は、大将、兵卒も必ず発憤する。発憤するものは奮励する。奮励すれば遂に最後には勝利を得る。だから一軍を統率する大将は、一時の勝敗にとらわれず、よく士卒の元気を督励し、義に勇む気概を鼓舞し、全軍をして勝っても慢心を起こさず、負けても挫けないように努めなくてはならぬ。これが戦争の要訣である。

120.          
人主の心得べき事項

人主は宜しく敵国外患を以て薬石と為し、法家払士(ほうかひつし)を以て良医と為すべし。
則ち国は治むるに足らず。
 

岫雲斎
人君は外敵の侵入を薬石と思い、法律を守って国を守る臣下と側近の賢臣を良い医者とするのがよい。そうでなくては国は治めることが出来ぬ。

121.          
政治における乗数と除数
賢才を挙ぐれば百僚振い、不能を(あわれ)めば衆人(はげ)むは、乗数なり。
大臣を(そね)めば(ざん)(とく)(おこ)り、親戚を(うと)んずれば物情(そむ)くは、除数なり。
須らく能く機先を慎みて以て来後(らいこう)(おもんばか)るべし。
 

岫雲斎
賢才ある者を重用すれば多くの役人は奮い立ってと努力する。才能無き者を憐憫すれば多くの人々は善行を進んでするようになる。これらは社会を良くする乗数と言える。反対に、大臣を疑い嫉むようなことをすれば、人々を讒言する悪い人間が現れ。親戚の者を疎外すると世間の人々は自分に背くようになる。これらは社会悪化を招く除数と言える。だから上に立つ者は、常に事前対策的に慎重な態度が必要になる。機先を制ししなくてはならない。 

122.          
終りを考えて仕事を始めよ
凡そ、事は功有るに似て功無きこと有り。幣有るに似て幣無きこと有り。(いわ)んや数年を経て効を見るの事に於てをや。宜しく先ず其の終始を熟図して而して()し起すべし。然らずんば、功必ず(まった)からず。或は中ごろに廃して、償う可からざるに至らん。 

岫雲斎
世の中の事は全て、良い成果があると思われても実はそうではないものがある。反対に弊害があるように見えてその実なんらの弊害の無いものもある。まして、数年経過して効果の現れぬものに於いては尚更のことである。だから、事を開始するに当っては、その結末がどうなるかを充分に考えてから着手しなくてはならぬ。さもなくば、その事案は必ず完全に成し遂げられないであろう。どうかすると中途で中止しなくてはならぬ事となり償い得ない損害を招くことらなろう。

123.          
和の一字、治乱を一串す
三軍(さんぐん)和せずんば、以て戦を言い難し。百官和せずんば、以て()を言い難し。書に言う「(つつしみ)を同じゅうし、(うやうや)しきを(かな)えて、和衷(わちゅう)せん(かな)」と。唯だ和の一字、治乱を一串(いっかん)す。 

岫雲斎
全軍が和合しなければ戦争は出来ない。役人全体が和合しなくては良い政治はできない。書経に「同僚が互いに心を合わて協力し、衷心から誠意を以て接し合おう」とある。ただ和の一字が平和の時も国の乱れを直す時にも一貫して大切なのである。

124.          
王安石の失敗に思う
(おう)(けい)(こう)の本意は、其の君を堯舜にするに在り。而れども其の為す所皆功利に在れば、則ち(ぐん)(しょう)()(ねが)い、競うて利を以て進み、遂に一敗して終を保つ能わず。(つい)に亦自ら取る。惜しむ()し。後の輔相(ほしょう)たる者宜しく(かんが)みるべき所なり。 

岫雲斎
王安石の本心は、その君主を堯や舜のような立派な君子にしようとするにあった。然し、その為す所は全て功名利欲にあったので、群小の徒は彼の趣旨を迎えて利得一点張りで進み遂に失敗し終わりをまっとうできなかった。そして遂に自に窮することとなった。実に惜しいことであった。 

125.          
才より量をとる

才有りて量無ければ、物を容るる能わず。量有りて才無ければ、亦事を済さず。両者兼ぬることを得可(うべ)からずんば、寧ろ才を()てて量を取らん。 

岫雲斎
人間は才能があっさても、度量が無ければ、人を包容することができない。度量があっても才能が無ければ、事の成就は期待できない。この才と度量の二つを兼備できないとしたら、いっそ才能を捨てて度量ある人物をとなる。

126
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人の上に立つ人の心得

(しょう)()に居る者は、最も宜しく明通公溥(めいつうこうふ)なるべし。(めい)(つう)ならざれば則ち偏狭(へんきょう)なり。公溥(こうふ)ならざれば則ち執拗なり。 

岫雲斎
大臣の位に居る者は最も天下の事情に精通し、又、事を処するに公明正大でなければならない。明通でなければ一方に偏して狭くなる。公明正大でなければ剛情になる。

127.          
常と変
気運には(じょう)(へん)有り。(じょう)は是れ変の(ぜん)にして痕迹を見ず。故に之を(じょう)と謂う。変は是れ漸の極にして、痕迹を見る。故に之を変と謂う。春秋の如きは是れ常、夏冬は是れ変。其の漸と極とを以てなり。人事の常変も亦気運の常変に係れり。故に変革の時に当れば、天人(ひと)しく変ず。大賢の世に出ずる有れば、必ず又大奸の世に出ずる有り。其の変を以てなり。常漸(じょうぜん)の時は、則ち人に於ても亦大賢奸無し  

岫雲斎
運気には常と変とがある。常は少しづつの変化であるから痕跡を見ない。それで常という。変は少しづつの変化が極に達したもので痕跡があり、それでこれを変という。例えば、春と秋は徐々に変化するので常、夏と冬は変化が極に達するものであり変である。人事に関しても、この気運の常変は同じである。だから大きな変化のある時には天も人も共に変化する。大賢人が世に出ることがあり、また大悪人が出現することもある。これは即ち変である。いつとは無く変化して行く時には、人の世にも大賢も大奸も現れない。

128.          
創業と守成

創業、守成の称は、開国、継世を泛言(はんげん)するのみ。
其の実は則ち創業の中に守成有り、守成の中に創業有り。唯だ能く守成す、是を以て創業す。
唯だ能く創業す。
是を以て守成す。(せい)(とう)()の旧服を継ぎ、(ここ)()(てん)(したが)い、武王の商の(まつりごと)に反し、政、旧に由りしが如きは、是れ創業の守成なり。

成王の政を立て事を立て、畢公(ひつこう)の道に升降(しょうこう)有り、政、俗に由りて(あらた)めしが如きは、則ち之を守成の創業と謂うも可なり。

但だ気運に常変有り。故に人と物と亦之に従う。

岫雲斎
創業と守成とは一般的に開国と世を継ぐことである。その実際を見ると、創業の中に守成あり、守成の中に創業があるのだ。ただよく守成する者がよく創業する。よく創業する者がよく守成すると言えるのである。殷の湯王が夏の桀王を破り、商という王朝を建て、夏のもとの()王の旧領域を継いだが、その制度文物は旧を守り、また周の武王が商の政治に反対して建ちながら制度などは旧に由ったが如きは創業というよりも守成である。これらとは反対に、周の成王は二代目であるが文物制度を改革した、三代目の康王は畢公に命じて洛邑を治せしめた道にも盛衰ありしが結局は民俗に従い政道を革新した如きは守成中の創業である。要するに、気運には常と変とがあるので、人と物は之に従うものである事を知るべきである。

      佐藤一斎「言志晩録」その六 岫雲斎補注 
129.          
聖人の治、世に棄人なし

物の所を得る。是れを治と為し、事の宜しきに(そむ)く。是れを乱と為す。猶お(えん)を治むるがごときなり。樹石の位置、其の格好を得れば、則ち朽株敗(きゅうしゅ)(はいが)も、亦皆趣を成す。故に聖人の治は、世に棄人(きじん)無し。 

岫雲斎
適材が適所にあれば天下は治っていると言う。事の不均衡は乱れである。これは丁度、庭園を整えるのと同じである。樹木や石の配置が格好好ければ、朽ちた木の株も、割れた瓦でも趣きを添える。だから聖人の治世には棄てられる人材は無い。

130.        
  
()()は簡浄にすべし
歴代開国の初、人々自ら(やす)んじ、治務(はなは)(ひま)なり。(しょう)(へい)日久しければ、則ち(かみ)は台閣より、(しも)は諸局に至るまで、規則完備し、簿書(ぼしょ)累堆(るいたい)し、愈々久しうして愈々多し。(ここ)に於て瑣末(さまつ)の式法、(はん)()()えず。亦勢の必至なり。此の時唯だ当に務めて苛細(かさい)を除き、(これ)を簡浄に帰するを以て要と為すべし。平世著(へいせいちゃく)(がん)の処蓋し(ここ)に在り。 

岫雲斎
古今の歴史を通観すれば、どの国でも、開国当初の時には人々がみな安らかに落ち着いており政治上の事務もまことに閑散としている。太平の世が続くと、上は内閣から下は諸官庁に至るまで規則が完備し、帳簿書類が山積し、日を経るに従い益々それが多くなる。このような些細な仕来たりが多くなり煩瑣となり乱雑にたえないことになるのも自然の趨勢である。かかる時、務めて些細なことは排除し、簡潔でさっぱりすることが肝要である。平和の時代にあっての着眼点はここにあると思う。

131.          
財を賑わすは租を免ずるに如かず
財を賑わすは租を免ずるに如かず。
利を興すは害を除くに如かず。
 

岫雲斎国民の懐を豊かにするには租税の減免をするのがよい。利を得るには害になるものを除外するしかない。

132.          
役人や大臣の心得
仕えて吏と為る者は、宜しく官事を視ること家事の如く、公法を守ること()()の如く、僚友を待つこと兄弟(けいてい)の如くすべし。
則ち能く職分を尽くすと為す。唯だ大臣の(きょう)()(らい)磊落(らいらく)(らく)として、当に長松(ちょうしょう)(ろう)(かい)の風雨に振撼(しんかん)せられざるが如くなるべし。
則ち其の()()必ずしも人後(じんご)()らじ。
 

岫雲斎
仕官して役人になり事務を執る者は、自分の家庭の仕事をするように丁寧に公の法規を守る、天の命令を聞き卜筮(ぼくぜい)(()())を以て占う時のように厳粛に、同僚の友との交友は兄弟のように仲良くしなければならない。さすれば、よくその職分を尽くしたとなる。ただ大臣ともなると、胸中には、いつも大きな志を持ち、コセコセせずに高い松や檜の古木が風雨に振り負けないように小人どもに動かされてはならない。さすればその政治上の務めは人に負けることはない。

133.          
大臣、大将の適格者
(がん)(けつ)の心を抱く者にして、以て台閣に居る可く、礼楽の実を得る者にして、以て将帥に任ず可し。 

岫雲斎
高山の岩屋の中に棲み、世間を超越した精神を持つ人物こそ内閣に列し天下の政治を執行できる。また礼儀を心得て身を慎み、心を和らげる音楽の本質の分る人間こそ初めて大軍を統率できる大将として適任である。

134
功利の徒の言説は警戒を要す
国に道有る時は、言路開く。慶す可きなり。
但だ(おそ)る、功利の徒、時に乗じて紛起(ふんき)群奏(ぐんそう)し、其の実或は(おおい)相左(しょうさ)する者有るを。
深く察せざる()からず。
 
岫雲斎
国に正しい道が行われている時は、下の者も思うことが言えるがこれは誠に喜ぶべきことである。ただ危惧するのは、功利を目的とする人達が言路の開かれているのにつけこんで、彼方此方に現れて色々奏上し、中には大いに国家の進む道と違うことがある。この点は大いに注意を要す。
135.          
世清き時と世濁る時
世清き時も、亦(すなわ)ち小天の処有り。世濁る時も、亦(すなわ)(しょう)(とく)の処有り。 

岫雲斎
世が清らかに治っていると思われる時でも、良からぬ所は少しはあるものた。油断は禁物である。世の中が濁り乱れていても幾分は良い所があるものだ。

136.          
政治の要訣
「水至って清ければ、則ち魚無く、木(ちょく)に過ぐれば、則ち蔭無し」とは、政を為す者の深戒なり。
(かしこ)遺秉(いへい)有り。此に(たい)(すい)有り。
()れ寡婦の利なり」とは、(はん)して政事と()す。
(たまたま)好し。
 

岫雲斎
「水が清らか過ぎると魚がすまない。木が真っ直ぐ過ぎると蔭が出来ない」とは、政事が綺麗過ぎると人材が集らぬということである。これは政治をなす者の深い戒めである。また「あすこら取り残さされた稲束があり、ここに稲穂が落ちている。頼る者のいない寡婦もこれを拾って(とく)をする」とあるのは、これは政治面で見たらまあ良いことである。

137.          
幕政謳歌論
その一
(せつ)(めい)に、明王、天道を奉若(ほうじゃく)して、邦を建て都を設け、后王、君公を樹て、承くるに大夫、師長を以てすと。此れに()るに、封建の制は天道なり。(とう)()三代相沿()りて、治を保つこと久遠(きゅうえん)なりき。秦已後(しんいご)変じて郡県と為り、而して世数(せすう)も亦促せり。余聞く、西洋諸国は地球を周回し、国土を分かちて五大州と為す。而れども封建の邦、惟だ我れを然りと為すのみと。又独立自足して、異域に仰ぐ無く、?(わずか)に漢蘭の二国有りかれの来たりて貿易するを許す。是れ亦良法なり。我が邦に在りと雖も、古代は則ち制、漢土に()れり。 神祖に至りて、郡県は其の名を存じて、封建は其の実を行う。神算ならびし無しと謂う可し。郡県の世、王室(まつりごと)を失い、海内(かいだい)すなわち土崩(どほう)瓦解しき。惟だ封建は則ち列候各々其の土を守り、庶民も亦其の主の為に保護す。是れ其の固き所以なり。然れども国に興廃有るは、則ち気数の自然なれば、人力を以て之を守るは又人道の当然なり。我れ幸に此の土に生れ、堯舜の(たく)(もく)(よく)すれば、自ら慶する所以を知らざる()けんや。(りゅう)柳州(りゅうしゅう)の封建論は、吾が取らざる所なり。 
138.          
幕政謳歌論 
その二
沿海の(こう)(こく)鎮兵(ちんぺい)たれば、外冦は覬覦(きゆ)(やす)からず。但だ内治何如(ないちいかん)を問うのみ。内治には何の別法か有らん。謹んで祖宗の法を守り、名に(したが)いて以て実を(うしな)うこと勿れ。 敬みて祖宗の心を体して、(やすき)(ぬす)んで危きを忘るること勿れ。然るに後天変畏るるに足らず人言(じんげん)(いまし)むるに足らず。(いわん)や区区たたる(りん)(かい)の族に於てをや。尚お(うれ)うるに足らんや。
139.          
こん内のことは政庁に感応す
人主のこん内の事は、外人の知らざる所なり。然るに外廷(がいてい)感応(かんのう)の機は、(まさ)(ここ)に在り。国風の(はく)初頭(しょとう)関しょ(かんしょ)は則ち此の意なり。

岫雲斎
人の君主の奥向きのことは知る所ではないが、然しそれは自然と政庁に感応して来るのは間違いない。詩経は国風の開巻第一にある関しょ(かんしょ)の一章はこの意味である。

140. 関しょ(かんしょ)の化

関しょ(かんしょ)の化は、葛覃(かつたん)(けん)()に在り。勤倹の風宜しく此れより()を起こすべし。 

岫雲斎
関しょ(かんしょ)が世間に及ぼす感化は元はとと言えば、葛覃(かつたん)(けん)()の篇にある。勤倹の風はこれを基にして起きたものであろう。

141.婦徳と婦道 婦徳は一箇の貞字、婦道は一箇の順字。 

岫雲斎
婦人の徳操は夫を正しく守って行く貞の一字に在る。また婦人の処世の道は従順の一字にある。(-ん、隔世の感あり)

142.
婦女子の華美を戒む

婦女の服飾の美麗を以て習と為すは、殆ど不可なり。人の男女有るは、禽獣の雌雄(しゆう)(ひん)()有ると同じ。
試に見よ、(ゆう)()は羽毛飾有りて、()(ひん)には飾無きを。天成の状是くの如し。
 

岫雲斎
婦女子が服装を美麗に飾ることを風習とすることはよくない。人間に男女があるのは鳥に雌雄があり、獣に牝牡があるのと同じである。試しに見るがよい、雄には羽毛の飾りがあるが雌には飾りが無い。天然自然の有様はこのようなものである。

143.
政治の外症と内症
大臣の権を弄するは、病猶お外症のごとし。劇剤一瀉(いっしゃ)して除く可きなり。若し権、宮?(きゅうこん)に在れば、則ち是れ内症なり。良薬有りと雖も施し易からず、之れを如何せん。 

岫雲斎
大臣が権力を悪用するのは身体で言えば外症であるから劇薬を使用して一挙に除去すればよい。然し、権力が大奥にあれば、これは内症であるから良薬があっても中々施し難い。どうするべきか。

144.
奥向きの教育を思う
方今(ほうこん)諸藩に講堂及び演武場を置き、以て子弟に課す。但だ宮?(きゅうこん)に至りては、則ち未だ教法有るを聞かず。吾が意欲す、「宮?(きゅうこん)に於て区して女学所を(つく)り、衆女官をして女事を学ばしめ、宜しく女師の謹飭(きんちょく)の者を()き、之をして(じょ)(かい)、女訓、国雅の諸書を講解せしめ、(じょ)(れい)(ひっ)(さつ)(とう)(こう)、茶儀を併せ、各々師有りて以て之を課し、(かたわ)()(そう)(きょく)、弦歌の淫靡(いんび)ならざる者を許すべし」と。則ち?(こん)内必ず粛然たらん。 

岫雲斎
現今、各藩では学問所や武芸道場を設けて青年に勉強させている。ただ奥向きに対しては何らの教育方法がないようである。自分は次ぎのような教育にしたいとの意欲を持つ。「奥に区画を立て、婦女の学問所を作り多くの女官に女性の道を学ばせたい。慎み深い女性師匠を択び、女性としての戒め、訓え、和歌などの講義、また礼儀作法、習字、香道、茶の湯などの師匠をつける。傍らに、(そう)(きょく)、弦歌など、淫らでないものは許可する」と。さすれば奥向きは必ず粛然として正しくなるだろう。

145          
幼主は交友を択ぶべし
人主の賢不肖は、一国の理乱に係る。(みょう)年嗣(ねんし)(りつ)の者、最も宜しく交友を択むべし。其の視効(みなら)う所、或は不良なれば、則ち後遂に邦家を誤る。(おそ)る可きなり。 

岫雲斎
主君の賢いか否かで国の盛衰が決まる。若年の後継者は交友を選ばなくてはならない。見習う人物が悪いと後日、遂に一国を亡ぼすに至るからである。これは恐るべきことである。

146.
真の是非と仮の是非
凡そ事には真の是非有り。仮の是非とは通俗の可否する所を謂う。
年少未だ学ばずして、先ず仮の是非を了すれば、後に
およんで真の是非を得んと欲すとも、亦入り易からず。
謂わゆる先入主と為り、如何ともす可からざるのみ。
 

岫雲斎
世の中の事は全てに真の善悪と仮の善悪がある。仮の善悪とは、世間の人が善いとか悪いとか言っていることである。年少でまだ学問が不十分の時に、仮の善悪を身につけると後になり真の善悪を知りたいと思っても容易でないことになる。これは「先入のものが主」となってしまったからで如何ともし難いのである。

147.
人主、飲を好むは害あり
人主、飲を好むは(はなは)だ害有り。
式礼を除く外は、宜しく自ら禁止すべし。
百弊皆此れより興る。
 

岫雲斎
トップが酒を飲むのは甚だ害がある。儀式の場合はやむを得ないが、それ以外の場合は自ら禁止すべきである。色んな弊害はみなトップが酒を飲むことから起きている。

148.
上役に対する態度
官長を視るには、猶お父兄の如くして、宜しく敬順を主とすべし。
吾が議()し合わざること有らば、宜しく(しばら)く前言を置き、地を替えて商思(しょうし)すべし。
(つい)に不可なること有らば、(こう)(じゅう)す可きに非ず。
必ず当に和悦して争い、敢て易慢(いまん)の心を生ぜざるべし。
 

岫雲斎
役所の長官に対しては、父兄に対するように敬し従うことを第一にするが良い。もし自分の意見と違うことがあれば、暫くの間、そのままにしておき、立場を替えて、自分が長官になったつもりでよく心に計り考えてみるべきだ。どうしても、長官の言うことに良くない所があれば、決して、かりそめにも従ってはならない。然し、この場合、必ず、ニコニコとして論じ合い決して長官を侮る心を起こしてはならない。

149.
交友の道
僚友に処するには、須らく能く肝胆を披瀝して、視ること同胞の如くなるべし。面従す可からずと雖も、而も亦乖忤(かいご)す可からず。党する所有るは不可なり。(さしはさ)む所有るは不可なり。ぼう疾(ぼうしつ)する所有るは最も不可なり。

岫雲斎
同僚との交際は、すっかり心中を打明けてまるで兄弟のようにするのがよい。媚びたり(へつら)ったりするのは良くない。背き逆らうのもよくない。また党派をつくるのもよくない。己を頼み誇るのもよくない。妬みは最もよくない。

150.
恩と怨

恩怨(おんえん)分明(ぶんめい)なるは、君子の道に非ず。

徳の報ず可きは(もと)よりなり。

怨に至っては、則ち当に自ら其の怨みを致しし所以を怨むべし。
 

岫雲斎
恩を受けたら恩を返し、怨みを受けたら怨みを返すというように、恩と怨みをはっきりと分けることは君子のしてはならないことだ。徳を受けて報いるのは申すまでもないことだ。怨まれた場合は、怨まれるに至った原因をよくよく考えて、その原因を怨むべきであろう。

151.
人情の向背(こうはい)は敬と慢にあり

人情の向背は、敬と慢に在り。
施報(せほう)の道も亦(ゆるがせ)にす()きに非ず。
恩怨は或は小事より起る。慎むべし。
 

岫雲斎
人情が自分に向くか、背をむけるかは敬と慢の二字にある。即ち、人を敬すれば人に思われる。人を(あなど)れば人に背かれる。人に恵みを施すとか恩に報いる道も同様に忽せにしてはならない。恩とか怨は、小さな事から起るものである、慎まなければならない。

152.
失敗は慣れない者に少なく、慣れた者に多い
官に居る者は、事未だ手に到らざる時、(はん)()()ずるが如し。歩々艱難すれども、(かえ)って蹉跌(さてつ)無し。
事既に手に到れば、阪路を下るが如し。
歩々容易なれども、(やや)もすれば顛賠(てんばい)を致す。
 

岫雲斎
役所で仕事をしている者は、事務に慣れない間は、そそれは坂道を攀じ登るようなもので一歩一歩が困難であるが、それで却って失敗は無い。これに反して仕事に慣れてくると、それは坂道を下るようで容易であるが却って躓くようなものだ。

153.

事物を取り扱う心得

事物に応酬するには、当に先ず其の事の軽重を見て而る後に之を処すべし。仮心(けしん)を以てすること勿れ。習心を以てすること勿れ。
多端を厭いて以て(かり)(そめ)なること勿れ。
穿鑿(せんさく)に過ぎて以て
きょ住(きょうじゅう)すること勿れ。
 

岫雲斎
物事を取り捌いて行くには、先ずその事の大切さの度合を見てから処理しなくてはならぬ。いい加減な心でしてはいけない。慣習で手馴れているからと疎かにしてはならない。多忙を口実に粗略に扱うのもいけない。また根掘り葉掘り穿鑿して引き延ばしておくのもよくない。

154.

権貴に対す
その一
大人(たいじん)に説くには則ち之を(かろん)じ、其の巍々(ぎぎ)(ぜん)たるを視ること勿れ」視ること勿れとは心に在り。
目には則ち熟視するも亦妨げず。
 

岫雲斎
孟子の言葉であるが、「自分より優れた立派な人に対して自分の説を開陳する場合には、心を平然と保ち、寧ろ相手を軽く視て、その巍々とした盛大な容儀に位負けしてはいけない」とある。視る勿れとは、心で視てはいけないことで、自分の目は相手を熟視しても差し支えない。

155.

権貴に対す
その二
心に(せい)()を忘れて、而る後に権貴と(とも)に語る可し。 

岫雲斎
人は心のうちに、勢力や利益を得ようなどという野心を忘れ去って初めて権力者や貴人と対等に話ができるものである。

156.

権貴に対す 
その三

権貴の徳は、賢士に下るに在り。賢士の徳は、権貴に驕るに在り。 

岫雲斎
権力者や貴人の守るべき徳は賢い人物にへり下ってその説を聴く所にある。また賢い人物のたるべき正道は権貴を恐れず自分の言いたい事を言う事である。

157.

上官には敬慎、下官には敏速
上官、事を我に(しょく)せば、我れは宜しく(けい)(しん)鄭重なるを要すべし。下吏(かり)、事を我れに請わば、我れは宜しく区処(くしょ)敏速(びんそく)なるを要すべし。但だ事は一端に非ざれれば、則ち鄭重にして期を(あやま)り、敏速にして事を誤るも、亦之れ有る()し。須らく善く先ず其の軽重を(おもんばか)り、以て事に従うを之れ(よう)と為すべし。 

岫雲斎
上役の仕事上の指示は、鄭重に慎んですることが必要である。
下役が自分に仕事を依頼してくれば適当に区切りをつけつつ敏速に処理するがいい。
但し、仕事は単一ではないから余りに丁寧過ぎて期限に遅れたり、敏速過ぎての失敗もある。
だから、仕事の軽重を十分考えてから着手することが肝要である。

158.
事を為すの心得

人の事を()すには、須らく其の事に就いて自ら我が量と才と力との及ぶ()きかを(はか)り、又事の緩急と齢の老荘とを把って(あい)比照(ひしょう)して、而る後()()すべし。然らずして、(ぼう)()もて手を下さば、殆ど狼狽(ろうばい)を免れざらん。 

岫雲斎
仕事をするに当り必ず自己の度量、才能、力量を勘案しその仕事を為し得るかよく考え、またその仕事の急ぎ具合と自己の年齢、老若程度を比較し「成功する目安をつけて」から着手しなくてはならぬ。かかる事を思案せずに手を下したならば恐らく中途でうろたえることとなるであろう。 

159
果断の原動力
果断は義より(きた)る者有り。智より来る者有り。勇より来る者有り。義と智とを併せて来る者有り。(じょう)なり。()(ゆう)のみなるは(あやう)し。 

岫雲斎
決断実行は正義感からのもの、知恵からのもの、勇気からのものとある。正義感と智恵の二つに基づいた決断が最上のものである。単なる勇気による決断は危険である。

   佐藤一斎「言志晩録」その七 岫雲斎補注 
160.
長官と平役人の心得
長官たる者は、「小心(しょうしん)翼々(よくよく)」を忘るること(なか)れ。吏胥(りしょ)たる者は、「天網恢恢(てんもうかいかい)」を(ゆるがせ)にすること勿れ。

岫雲斎
トップは「細心による慎み」を忘れてはならない。下役は「天の網は広々と張ってあり、その目は荒いが決してもらすことはない」ということを片時も忘れてはならぬ。

161.
官事は心が第一で帳簿は第二
凡そ官事を処するには、宜しく先ず心を以て簿書と為し、而して簿書又之れを照すべし、専ら簿書に任せて以て心と為すこと勿れ。 

岫雲斎
役所の仕事は心で帳簿や書類を作ることで帳簿や書類を以て自分の心を照らすがよい。専ら帳簿や書類にまかせてこれを精神としてはならない。

162.
公私は事にあり、また情にあり

公私は、事に在り、又情に在り。(こと)(おおやけ)にして情(わたくし)なる者之れ有り。事私にして情公なる者之れ有り。(まつりごと)を為す者、宜しく人情(にんじょう)事理(じり)軽重(けいちょう)の処を権衡(けんこう)して、以て其の(ちゅう)を民に用うべし。 

岫雲斎
公と私は、事柄にも人情にもある。事柄は公であるが私情を伴うものもある。事柄は私であるが、公情で処理しなければならぬものもある。為政者は、よくこの人情と事理とを天秤(てんびん)にかけて、その軽重を判断し多くの人々が納得する中程の所を民に施すべきである。

163.
役人の無駄話
()(じん)相集りて言談すれば、多くは是れ()(しん)栄辱(えいじょく)()()の損益なり。吾れ甚だ厭う。然るに、平日聴くに慣れ、覚えず(たまたま)(みずか)ら冒しぬ。戒む()し。 

岫雲斎
役人たちが集ると話題は昇進とか左遷、或は金銭の損得ばかりである。こんなことは余は大嫌いである。これも平生、聞き慣れてくると知らぬ間に自分もそうなってしまう。注意しなくてはならぬ。

164.         
職外の事に功あれば、仲違いを起こす
人の事を()すは、各々本職有り。()し事、職外に(わた)らば、仮令(たとい)功有りとも、亦多く(きん)を取る。(たと)えば、夏日(かじつ)の冷にして冬日(とうじつ)(だん)なるがごとし。宜しきに似て宜しきに非ず。 

岫雲斎
人には夫々本職というものがある。それに全力を尽くすべきで本職以外で成功しても同僚と仲違いを起こすもととなる。それはちょうど夏に冷たい日、冬の暖かい日のあるようなもので、一見良さそうだが実は本質的にはそうではないのだ。

165
人、各々好尚あり

人には各々好尚(こうしょう)有り。我が好尚を以て、彼れの好尚と争うは、(つい)に真の是非を見ず。大抵、事の是非に(あずか)らざるは、彼れの好尚に任ずとも、亦何の妨げか有らん。乃ち(ぎょうぎょう)々として己れに()りて、以て銖錙(しゅし)角争(かくそう)するは、?(ただ)局量(きょくりょう)(しょう)なるを見るのみ。 

岫雲斎
人間には夫々の好みがある。自分の好みで人の好みにケチをつけて争うのでは本当の善悪は分らない。大抵の事柄で、真の善悪に関係ないことでは相手の趣向に任せて何の弊害があろうか。即ち、口やかましく自分を拠り所として僅かな事で争うのは、その人物の度量の小さいことを示すことになるだけだ。

166
放蕩の子弟も見棄てたものではない

放蕩(ほうとう)の子弟も、亦棄つ可きに非ず。学問(しゅう)()慫慂(しょうよう)するは、即ち悔悟(かいご)の法なり。
一旦悔悟すれば、旧悪は追う可からず。(いわん)や其の無頼(ぶらい)を為すも、亦才に出ずるをや。才は則ち為す所有り。
易に云う「(くら)くして(のぼ)る。()まざるの貞に利あり」と。
此れを謂うなり。
 

岫雲斎
放蕩の子弟も決して見棄ててはならない。これに学問や修養を勧めるのは悔いて悟らしめる方法である。一旦悔い悟れば、元の悪事を追求してはいけない。まして、その子が無法なことをしたのも、才能があれば尚更である。その才能は必ず良いことを為すに違いない。易経にもある「(あん)(じゅう)な小人は理非をわきまえない、悪い方に昇ろう昇ろうとするが、その昇る心こそが取り得だから、その方向を転換して善い方向へ善用すれば、(めい)(めい)となり立派なものになる」とあるのがこれである。

167
学問を勧める方法
勧学の方は一ならず、各々其の人に()りて之を施す。()めて之れを勧むこと有り。激して之れを勧むること有り。
()めず激せずして、其の自ら勧むを待つ者有り。
猶お医人の病に応じて(くすり)を施すに、補瀉(ほしゃ)一ならず。必ず先ず其の病を察して然するがごとし。
  

岫雲斎
学問を勧める方法は一つではない。相手により違わなくてはならぬ。褒めて勧めること、励まして勧めることあり。褒めもせず励ましもせず自分で気づくのを待つこともある。これは、医者が病に応じて調剤するように、ある人には栄養剤、他には下剤を与えるようなもので決して一様ではない、病の状態を察して処置するようなものだ。

168
質問する時の注意

事を人に問うには、虚壊(きょかい)なるを要し、豪も(さしはさ)む所有る可からず。
人に替りて事を処するには、周匝(しゅうそう)なるを要し、()や欠くる所有る可からず。
 

岫雲斎
物事を人に問う時は、心にわだかまりが無く虚心坦懐でなくてはならぬ。また少しでも自分に自負するものがあってはならぬ。人の替りに物事を処理するには充分の用意が必要、少しでも落ち度があってはならぬ。

169.
己に恥じざれば人は服せん
我が言語は、吾が耳自ら聴く可し。我が挙動は、吾が目自ら視る可し。
視聴既に心に愧じざらば、則ち人も亦必ず服せん。
 

岫雲斎
自分の言う言葉は自分で聴いて見るがよい。自分の立ち居振る舞いは自分の眼で見るがよい。自分てで見、自分で聴いて心に愧じることがなければ、人もまた心服するであろう。

170.
己の口で己の行を誹るな
口を以て己れの(おこない)(そし)ること勿れ。
耳を以て人の言を聞くこと勿れ。
 

岫雲斎
自分の口で自分の行いを悪く言うものではない。心で非を改めるのがよい。同様に自分の耳で他人の言う言葉を聞いてはいけない、うわべを聞くのでなくその真意を心で判断しなくてはならぬ。

171.
知ると得るは別物ではない
(おもんばか)らずして知る」とは、本体の発するなり。
「慮って(のち)()」とは、工夫の成るなり。
知る者は即ち得る者、二套(にとう)有るに非ず。
 

岫雲斎
格別に考えもしないで分るとは、良知のもたらすものであり、心の本体から発するものである。よく考えてから後に得られるのは工夫の産物である。この、知ると得るとは見掛け上は別に見えるが決して二つあるのではなく、その本は一つ即ち心の働きなのである。

172.
慎独の工夫

慎独の工夫は、当に身の稠人広坐(ちゅうじんこうざ)(うち)に在るが如きと一般なるべく、応酬の工夫は当に間居(かんきょ)独処(どくしょ)の時の如きと一般なるべし。 

岫雲斎
独りを慎む工夫は、自分が人混みの広い座敷の中に居るのと同じ気持ちでおればよい。人との応対の工夫は、独り閑居している時と同じ気持ちであればよい。

173.
仁者は己れに克ち、君子はよく人を治む
仁者は己れを以て己れに()ち、君子は人を以て人を治む。 

岫雲斎
真の道徳家は、自己の理性で自己の感情を克服する。立派な政治家は、人間の性情を観察して人間を治めて行くものだ。

174.
敬を持する者は火の如し
敬を持する者は火の如し。人をして畏れて之れを親しむ可からしむ。
敬せざる者は水の如し。
人をして()れて之に(おぼ)る可からしむ。
 

岫雲斎
常に敬の心で態度を示す人は火のようなものだ。人間はこのような人を畏れるけれども、親しむ可き人間として尊敬する。敬の態度を示さぬ人物は、水のようなものだ。水のように馴れ親しみやすいが、人間をして溺れさせてしまう、人間としての威厳がなくバカにされてしまうのだ。

175.
心は現在なるを要す
心は現在なるを要す。事未だ来らざるに、(むか)う可からず。
(すで)()けるに、追う可からず。(わずか)に追い(わずか)(むか)うとも、便(すなわ)ち是れ放心なり。
 

岫雲斎
心は常に現在に集中しておかなくてはならぬ。事柄がまだ実現しておらぬのに、それを迎える事は出来ないし過ぎ去った事は追いつけない。少しでも過去を追っかけたり、まだ到来しない未来を追い求めるという事は自己の本心を失ってことになる。現在に集中し最善を尽くす可しである。

176.
視聴・言動を慎め

視聴を慎みて以て心の門戸を固うし、言動を謹みて以て心の出入を厳にす。 

岫雲斎
視ること、聴くことを謹んで、心の門を固くして悪い方向へ進まないようにする。また発言、行動を謹んで心が濫りに出入りししないように厳重に取り締まって身の禍の種を蒔かないようにする事が肝要なり。

177.
人はわが心を礼拝すべし
人は当に自ら吾が心を礼拝し、自ら安否を問うべし。吾が心は即ち天の心、吾が身は即ち親の身なるを以てなり。
(これ)を天に(つか)うと謂い、是れを終身の孝と謂う。
 

岫雲斎
人間は常に自らの心を礼拝して自分の心が健全かどうか確認するべきである。わが心は天よりの付与物であり我が体は親の体であるからだ。このように常に心の安否を問うてゆくのを天に仕える道と申し、生涯を通じての孝行と申すのじゃ。

178
人欲を去る工夫

人欲を去れとは、学人皆之れを口にすれども、而るに工夫(はなは)だ難し。余(かつ)て謂う、「当に先ず大欲を去るべし」と。人の大欲は飲食男女に()くは()し。故に専ら此の二者を戒む。余中年以後、此の欲漸く薄く、今は則ち(たん)(ぜん)として、精神、壮者と太だ異なること無し。幸なりと謂う可し。 

岫雲斎
欲を去れと学者は皆言うが、これが実行の工夫は心もとない。自分は過去に「真っ先に大欲を除け」と申した。大欲とは飲食と色欲の二つに勝るものはない。だからこの二つを戒めることが重要。我輩は、中年以後、これらの欲が漸く薄らぎ現在は淡白なもので、精神は壮年の者と殆ど変わらない。幸いなことである。

179
学人の心得

凡そ学は、宜しく認めて挽回転化の法と()すべし。今日好賢(こうけん)の心は即ち是れ他日の好色、今日好徳(こうとく)の心は即ち他日の好貨(こうか)なり。 

岫雲斎
凡そ学問は移り変わるものである事を認めなくてはなるまい。今日、賢を好む心は前日の好色であったり、今日の徳を好む心は前日の拝金主義であったりするものだ。

180.
大欲は抑え易く、小欲は抑え難し

欲に大小有り。大欲の発するは、我れ自ら知る。
己れに克つこと或は易し。小欲は、則ち自ら其の欲たるを覚えず。
己れに克つこと(かえ)って難し。
 

岫雲斎
欲には大小がある。大欲の起きた場合は自分でそれが分るからその欲に勝つことは或は容易である。だが、小欲は自分自身がそれに気づかぬのでこれに打ち克つのが却って難しい。

181
()(えつ)過愆(かけん)
()(えつ)過愆(かけん)とは、字は同じゅうして訓は異なり。
余見る、世人の過越なる者は必ず過愆なるを。
是れ其の同字たる所以なり。
故に人事は寧ろ及ばざるとも過ぐること勿れ。
 

岫雲斎圀典
()(えつ)はやり過ぎ、過愆(かけん)はやり(あやま)りである。この二つの同じ過で一方は「あやまち」で、一方は「あやまり」で訓が違う。自分の考える処では、世の中の人は、やり過ぎの者は必ずやり(あやま)りをしていると思うから同じ字を用いたのであろう。人事は、及ばない所があっても過ぎてはいけないのだ。

182.
聞と達

管弦、堂に在りて、声四方に聞ゆ。(ぶん)なり。巌石、谷に倒れ、(ひびき)、大地に徹す。達なり。 

岫雲斎
楽器が堂内で鳴り四方に聞こえる。これは聞である。岩石が谷に倒れその響きが大地を震撼させる。これは達である。(達人の達と聞の違いを比喩した。人物でも聞と達は似ているが雲泥の差あり)

183
君子は実響ありとも虚声ある勿れ

名誉は、人の争いて求める所にして、又人の群りて(やぶ)る所なり。君子は只だ是れ一実のみ。寧ろ実響有りとも、虚声有ること勿れ。 

岫雲斎
名誉は世間の人が争い求めるものだ、又、人は集まって誹るものである。君子は一つの実の尊び、名は問題としない。実際の功績による名誉はあっても実の欠けた名誉だけはあってはならぬ。

184
順境あり、逆境あり
人の一生には、順境有り。逆境有り。
消長(しょうちょう)の数、怪む可き者無し。余又自ら検するに、順中の逆有り、逆中の順有り。宜しく其の逆に処して、敢て()(しん)を生せず、其の順に居りて、敢て()(しん)(おこ)さざるべし。
()だ一の敬の字、以て逆順を貫けば可なり。
 

岫雲斎
人間の一生には順境もあれば逆境もある。これは大自然の栄枯盛衰の理法であり少しも怪しむに足りない。自分で検討したが、順境、逆境と申しても、順境の中の逆境、逆境の中の順境がある。だから逆境には、怠けてやけくそを起さぬ事、順境にあっては怠け心を起さないことだ。敬の一字、則ち慎みを以て終始一貫することである。

185.
愛と敬
天下の人皆同胞たり。我れ当に兄弟(けいてい)の相を()くべし。天下の人皆賓客(ひんきゃく)たり。我れ当に主人の相を()くべし。兄弟(けいてい)の相は愛なり。主人の相は敬なり。 

岫雲斎
人間はみな同胞であるのだから、当然兄弟のように考えて付き合わねばならぬ。また人間はみなこの世に来た客でもあるのだから自分は主人として付き合わねばならぬ。兄弟の関係は愛である。主人のそれは敬である。

186.
物・我一体の理を認むべし
物・我の一体たるは、須らく感応の上に就いて之を認むべし。
(せん)(しん)有り。
厚薄有
。自ら()う可からず。
察せざる可からず。
 

岫雲斎
物と我との一体である事は、物が我が心に感じ、我が心が物に感ずる上から十分に認めることができる。その感応の度合には浅深がある。厚薄もある。これは欺くことはできない。観察を十分していかなくてはならぬ。

187.
平生使用の物件を大切に

書室の中、机硯書冊(きけんしょさつ)より以外、凡そ平生便用する所の物件、知覚無しと雖も、而も皆感応有り。
宜しく之を撫愛(ぶあい)して、或は毀損(きそん)するこ()かるべし。是れ亦慎徳の一なり。
 

岫雲斎
書斎の中にある机、硯、書物などは申すに及ばず、凡そ平生用いている物品には知覚は無いけれども、皆夫々感応がある。だからそれらの品々は大切に取り扱って傷つけたり壊してはいけない。これも亦、徳を慎むことなのである。

188.
愛敬の心
愛敬(あいけい)の心は、即ちち天地生々の心なり。草木を樹芸し(きん)(ちゅう)を飼養するも、亦唯だ此の心の(すい)なり。 

岫雲斎
愛し敬する心は天地が万物を育て成長せしめる心と同じである。草木を植えたり鳥や虫を飼育するのもこの愛と敬の心を推進せしめたものである。

189.
物は人為的、事は(てん)()
物、其の好む所に集るは人なり。事、期せざる所に赴くは天なり。 

岫雲斎
物がその好む所に集るのは意識的に行われた結果であり人為である。事が予期せぬ所に行くのは人間にはどうしようもない所のもので天為と申すべきである。

       佐藤一斎「言志晩録」その八 岫雲斎補注 
190
貧富は天定

富人(ふじん)は羨むこと勿れ。()れ今の富は、(いず)くんぞ其の後の貧を招かざるを知らんや。貧人を侮る勿れ。渠れ今の貧は、安くんぞ其の後の富を(たい)せざるを知らんや。畢竟(ひっきょう)(てん)(てい)なれば、各々其の分に安んじて可なり。 

岫雲斎

富める人を羨んではならぬ。
彼の今の富が後日の貧を招かないものか分らない。
貧して人を軽侮してはならぬ、後日の富のもとかもしれない。
貧富は天の定めるものであるから各人はその分に安んじておればよい。

191.
人事は予想しない所に赴く
人事は期せざる所に赴く。(つい)に人力に非ず。
人家の貧富の如き、天に係る有り。
人に係る有り。然れども其の人に係る者は、(つい)に亦天に係る。
世に処して能く此の理を知らば、苦悩の一半は省かん。

岫雲斎
人間に関する事は予期しない所にしばしば行くものだ。この事は人間の力ではない。例えば、世間に貧乏と金持ちがあるようなもので、これは天運もあれば人力に係るものもある。考えて見るに、人力によると考えられるものは突き詰めれば天に係ることなのである。我々が世に処して行くのに、この理を会得すれば、苦悩を半減することが出来ると思われる。

192.
人を見て自分の幸福を知る
人の()有るを見て、我が禍無きの安らかなるを知り、人の福有るを見て、我が福無きの穏かなるを知る。心の安穏なる処は、即ち身の極楽なる処なり。 

岫雲斎
他人の禍を見て我が身に禍がなく安らかである事がよく分る。他人の幸福を見て自分は幸福でない為に他人から妬みを受けず却って心の平安なことを知る。心の安穏な所が肉体的にも極めてよい場所なのである。

193.
過去は将来への路頭なり
人は皆将来を図れども、而も過去を忘る。
殊に知らず、過去は乃ち将来の路頭(ろとう)たるを。
分を知り足るを知るは、過去を忘れざるに在り。
 

岫雲斎
人はみな未来のことを思案して過去の事を忘れてしまっている。殊に、過去が結局は未来の出発点であることが分っていない。己の分限を知り現状に満足していることはつまり過去を忘れないということに在るのだ。

194.
履歴を顧りみて安穏の地を占めよ

人は当に従前の履歴を回顧して、以て安穏の地を占むべし。
若し
かん(ぜん)として駐歩の処を知らずんば、必ず淵壑(えんがく)()ちん。
 

岫雲斎
人間というものは常に過去の履歴を振り返り安らかな地におるように心掛けるがよい。もし、ひた走りに走り(かん止まる所を知らないと必ず深淵や谷(淵壑(えんがく))に墜ちて身を亡ぼすことになるものだ。

195.
好んで逆らうは失徳のみではない
人は好んで触ご(しょくご)を為す者あり。但だに失徳なるのみならず。
怨を取るの道も(まさ)
に此に在り。戒む可きの至なり。
 

岫雲斎
世間では触ご(しょくご)、即ち他人に逆らって楽しんでいる者がある。かかる事は己の徳を失うばかりではなく、人から怨みを買う所以である。戒めなくてはならぬ。

196.
他人に不好話をさせるのも良くない
人有り、自ら不好話(ふこうわ)を談せずと雖も、而も他人を誘導して談ぜしめ、己は則ち(かたわら)に在りて、衆と共に聞きて之を快咲(かいしょう)し、以て一場の興を取るは、(はなは)だ失徳たり。
究に自ら不好話を談ずると一般なり。
 

岫雲斎
自分はよからぬ話はしないが他人を誘導して良からぬ話をさせる人間がいる、自分は傍らにおり大勢の者と一緒に聞いて愉快に笑いその場の興をそそるのである。これは大変に徳を失う行為である。結局は自分で良からぬ話をするのと同罪である。

197.
背撻の痛さと癢さ

背撻(はいたつ)の痛さは耐え易く、脇ちく(きょうちく)かゆ(かゆ)さは忍び難し。 

岫雲斎
背中を鞭で打たれるのは耐えられるが脇の下をくすぐられるかゆさは我慢できない。(風刺的に揶揄されるのは耐えられぬ)

198.
愛敬の二字は交際の要道
愛敬(あいけい)の二字は、交際の要道たり。傲視(ごうし)して以て物を凌ぐこと勿れ。侮咲(ぶしょう)して以て人を調すること勿れ。旅?(りょごう)に「人を(もてあそ)べば徳を(うしな)う」とは、真に是れ明戒(めいかい)なり。 

岫雲斎
愛と敬の二字は、人と交際する上で大切な道である。傲慢な態度で、何もの対しても見下してはならぬ。侮り笑って人を嘲笑してはならぬ。「書経」の旅?(りょごう)篇に「人を侮ったり、からかったりすることは結局は己の徳を喪失することになる」とあるのは実に立派な戒めである。

199.         
人は礼譲を甲冑とせよ

甲冑(かっちゅう)(はずかし)()からざるの色有り。
人は礼譲を服して以て甲冑と為さば、誰れか敢て之を辱めん。
 

岫雲斎
甲冑(よろいかぶと)で身を固めた武士は侮り難い威容を備えている。同様に人は礼儀の(よろい)互譲(ごじょう)(かぶと)を身につけていれば誰が辱めたり侮ったりするものか。

200.
物事は七、八分でよいとせよ

太寵(たいちょう)は是れ太辱(たいじょく)(さん)にして、奇福は是れ奇禍(きか)()なり。 

岫雲斎
特別の寵愛を受けることは大いなる恥辱を受ける前兆である。思いもよらぬ幸福を得ることは、思いもよらぬ禍が引き起される餌である。物事は七、八分でよいとせよ。

201.         
自己本来の徳は捨てるべからず
(なんじ)の霊亀を()て、我を観て(おとがい)(うごか)す」霊亀は()つ可からず。
凡そ(これ)を外に(うかが)う者は、皆()()の観なり。
 

岫雲斎
易経には「自らを養い得る徳を捨てて、却って貧乏人を見て物を欲しがる状態を作るのは凶である」と。自分を養い得る徳を捨ててはいけない。養いを他に求める者はみな頤を垂れ動かして物乞いを求める状態を呈するものだ。
(
易経、頤の卦にある文章。霊亀は神明にして食わざるもの。明智にして自に守り、養を外に求めないものの比喩。()()は食わんとす欲するのかたち。)

202.         
学問は足らざるを知るべし
人各々分有り。当に足るを知るべし。
但だ講学は則ち当に足らざるを知るべし。
 

岫雲斎
人には夫々天分というものがある。それに満足して心安らかに過すべきである。ただ、学問をすることだけは、常に足らないことを知らねばならない。

203.
「堯舜の上、善尽くるなし」
天道は窮り尽くる無し。故に義理も窮り尽くる無し。
義理は窮り尽くる無し。故に此の学も窮り尽くる無し。
「堯舜の上、善尽くる無し」とは、此れを謂うなり。
 

岫雲斎
天の道には窮め尽きる所のものはない。だからそれを表す義理も尽きる所はなく、義理が尽きる所がないのだから、これを窮めようとする学問にも窮め尽きる所はない。王陽明の言った「堯舜の上、善尽くる所無し」とはこの事を言うのである。

204.
艱難の教訓その一

薬物は、(かん)の苦中より生ずる者多く効有り。人も亦艱苦を閲歴すれば、則ち思慮自ら(こまや)かにして、恰も好く事を(すま)す。
此れと相似たり。
 

岫雲斎
薬では甘味が苦味(にがみ)の中から出てくるものに効能多い。同様に、人も艱難辛苦を経験すると考えが自然に細かなことに行き届き物事がよく成功する。これと良く似ている。

205.
艱難の教訓 
その二
艱難は能く人の心を堅うす。故に共に艱難を経し者は、交を結ぶも亦密にして、(つい)に相忘るる能わず。
糟糠(そうこう)の妻は堂を下さず」とは、亦此の類なり。
 

岫雲斎
辛く苦しい経験をした人間は心が堅固である。だから艱難を経験した者は交際を結んだら緊密で、いつまでも互いに忘れられないようになる。「酒の(かす)や、米の(ぬか)をなめて共に苦労した妻は、成功しても引っ込めないで大切にする」とはこの類の話である。 

206.
人との接触、仕事の巧みな人

人に接すること衆多なる者は、生知、熟知を一視し、事を処する練熟なる者は、難事易事(いじ)(こん)(かん)す。 

岫雲斎
多くの人間に接触する人は、少ししか知らない人も、良く知っててる人も全く同じように視てゆくものである。事務に手馴れ熟知している人は難しい事も易して事も同じように見て処理してゆくものである。

207.
老僧や老農の話は真面目に聞け

修禅の老弥(ろうみ)(ぼく)(じつ)の老農は、()往々にして人を起す。但だ(かれ)をして言わしめて、而して我れ之を聴けば可なり。
必ずしも詰問(きつもん)せじ。
 

岫雲斎
禅を修めた老僧とか真面目な老農の話は往々にして人を感動させる。

我々儒者は、ただ彼らの話を聞くだけでよい。
立入って質問などすべきではない。

208.
儒者は武人や禅僧に学べ
武人は多く是れ(きょう)()明快にして、文儒(かえ)って闇弱(あんじゃく)なり。禅僧或は自得有りて、儒者自得無し。
並に()ず可し。
 

岫雲斎
武芸者は多くの人が胸中さっぱりしていた気持ちよい。処が学問修養をしている儒者達は却って愚かで臆病である。禅僧達は自ら悟り得た所があるが儒者にはそれが無い。これらを考えると儒者たちは洵に愧ずべきものである。

209.
他人を騙さない人は騙されない
人を欺かざる者は、人も亦敢て欺かず。
人を欺く者は、(かえ)って人の欺く所と()る。
 

岫雲斎 
他人を騙さない人は他人も騙さない。他人を騙す人は却って他人に騙されるものだ。

210.
真と偽はいつわれない
真偽は()う可からず。虚実は欺く可からず。邪正(だま)す可からず。 

岫雲斎
真を偽とし、偽を真とすることは出来ない。嘘と真実は欺けない。邪と正ときごまかせない。

211.
自分を欺かない人は他人も欺けない
自ら欺かざる者は人を欺く能わず。自ら欺かざるは誠なり。
欺く能わざるは(かん)無ければなり。(たと)えば生気(せいき)毛孔(こうもう)より出ずるが如し。
 

岫雲斎
自分を欺かない人は他人も欺くことはできぬ。自分を欺かないということは心が誠であるからだ。他人が欺くことが出来ないというのは、欺く隙間がないからだ。例えば生々とした気が毛穴より出るようなもので、その気が盛んであれば外からの邪気が侵入することが出来ないようなものだ。

212.
世を渡る法

「言を察して色を()(おもんばか)りて以て人に下る」、
世を渡るの法、此の二句に出でず。
 

岫雲斎
孔子は「達人は相手の言葉の意味を深く洞察すると共に、顔色を通して其の心を知り、思慮深く用意周到でありながら(へりくだ)るものである」と云われた。この二句以上の渡世の法はない。

213.
恕と譲

(えん)に遠ざかるの道は、一箇の(じょ)の字にして、争を()むるの道は、一箇の譲の字なり。 

岫雲斎
人から怨まれないようにする道は、恕の一字即ち思いやりである。争いをやめる道は譲りの一字、則ちへり下って相手に譲ることである。

214.
赤子の泣き笑いと老人の一話一言
赤子(せきし)一啼(いちてい)(いち)(しょう)は、皆天籟(てんらい)なり。老人の一話一言は、皆活史(かつし)なり。 

岫雲斎
赤子の泣き声笑い声は何の偽りもなく天然自然の声である。老人の話とか言葉は皆その経験を語る生きた歴史である。

215.
得意の時と失意の時
人、得意の時は(すなわ)ち言語(おお)く、逆意の時は即ち声色(せいしょく)を動かす。皆養の足らざるを見る。 

岫雲斎
人間というものは、得意の時は言葉数が多く、失意の時は音声、顔色を動揺させて落ち着きがないものだ。これはみな修養の足りないことを現しているのだ。

216
存養の有無は

(そん)(よう)の足ると足らざるとは、宜しく急遽なる時に於て自ら験すべし。  

岫雲斎
精神修養が足りているか否かは、差し迫った事件が発生した時に自分自身で判断してみるがよい。

217.
求道の要領
道を求むるには懇切なるを要し、(はく)(せつ)なるを要せず。
懇切なれば深造(しんぞう)し、迫切なれば助長(じょちょう)す。
深造なれば是れ誠にして、助長なれば是れ偽なり。
 

岫雲斎
道を求めるには懸命でなくてはならぬが、急ぎ焦ることは良くない。懸命であれば、道の深奥にまで至り窮めることが可能だが、急ぎ焦ることは無理をすることとなる。道の深奥を窮めることは誠の道であり無理は偽りの道である。

218
学は心事合一を要す
学は須らく心事の合一を要すべし。吾れ一好事を()し、自ら以て好しと為し、(よっ)て人の其の好きを知るを(もと)む。
是れ即ち(きょう)(しん)の除かざるにて、便(すなわ)ち是れ心事の合一せざるなり。
 

岫雲斎
学問をする上では人の心と行為が一致するものでなくてはならぬ。自分が一つの良い事をして、それを是認しそれにより他人にその良さを認めるように求めるとすれば、それは人に矜る心が取り除かれていないことであり、これこそ心と行いの不一致である。

219
志は師に譲らず
人事百般、()べて(そん)(じょう)なるを要す。但だ志は則ち師に譲らずして可なり。
又古人に譲らずして可なり。
 

岫雲斎
世間の色々な事柄に関しては、人にへりくだり譲ることが肝要である。然し、志だけは師に譲らなくてもよい。古人に譲らなくてもいい。

220.
学問に卒業はない
人は此の学に於て、片時(へんじ)も忘る可からず。昼夜一串せよ。老少一串せよ。缶を()して歌うも亦是れ学、(かい)(むこ)うて宴息(えんそく)するも亦是れ学なり。 

岫雲斎
人はこの道徳を修めて聖人を目指す為に学ぶからには、その目的を片時も忘れてはならない。昼も夜も一貫しなくてはならない。若い時から老人となるまで一貫しなくてはならぬ。缶を鳴らして歌い楽しむことも学問である。夜になり安息するのも学問なのである。 

     佐藤一斎「言志晩録」その九 岫雲斎補注 

221.
事を処し物に接しし心を磨け

事に処し、
物に接して、
此の心を練磨すれば、人情事変も亦一併に練磨す。
 

岫雲斎
日常、様々な事を処理したり色々な事柄に接して行く上に活学があるのだから自分の心を練り磨くことを失念しなければ自然に人情の機微が分り、色んな事変に遭遇しても動揺しないような心構えが身につくのである。

222.
人は当に自重すべし
石重し。
故に動かず。
根深し。
故に抜けず。
人は当に自重を知るべし。
 

岫雲斎
石は重いから動かない。大樹は根が深いから抜けない。人間もこれらと同じように自らを重くし、他により軽々に動かされないようにしなければならない。

223.
遷善改過

人皆一室を洒掃(さいそう)するを知って、一心を洒掃するを知らず。善に(うつ)りて(ごう)(もう)を遺さず、過を改めて微塵も留めず。吾れ洒掃の是の如くなるを欲して、而も未だ能わず。 

岫雲斎
人は部屋の掃除をすることは知っていても、自分の心を掃除することを知らぬ。悪を去り善に移るに際し、不善を一毫一髪も残さず過ちを改める時は、過ちの微塵も留めない。このように自分の心の掃除をしようと思うのだが中々そう出来ずにいる。

224.
真を誤るな、実を失うな、全を害するな

凡そ事は似るを嫌うて真を誤ること勿れ。
名に拘りて実を失うこと勿れ。
偏を執って全を害すること勿れ。
 

岫雲斎
何事によらず人の真似を嫌い却って本当のことを誤るな。名前に拘泥して実を失ってはならぬ。一方に片寄り且つ執着して全体を害ってはならぬ。

225.
儒教の悟り
覚悟は(しゃく)(じょう)(げん)なり。
儒家(けん)を避けて言うを憚るは非なり。
心に感発する所有り。(すべ)て之を()と謂う。孔子が川上(せんじょう)(たん)、是れ道体の悟なり。
(がんし)子の仰鑽(こうさん)()し、曽子(そうし)の一貫に()せしも、悟に非ずや。朱子の一旦豁然(かつぜん)たるも、亦是れ()(きょう)なり。但だ当に悟る所の何事たるかを問うべきのみ。
 

岫雲斎
悟るとは仏教徒の常に言う言葉である。儒者が仏教臭いと言われるのを嫌い、この言葉を使わないのは良くない。何事によらず心に感じて外に発したことは皆「悟り」というべき事である。孔子が「逝く者はかくの如きか昼夜を()てず」と川のほとりで嘆ぜられたのは道徳本体上の悟りである。顔淵が「之を仰げばいよいよ高く、之れを切ればいよいよ堅し」と師・孔子の徳の広大無辺を嘆じたのも「曽子よ、わが道は一以て貫く」と孔子が言われたのに対して、曽子が「はい、そうです」と答えたのもみな悟りである。朱子が「からっと貫通した」というのも悟りの境地である。問題は悟る所がどういう所のものであるかを問わなければならないだけである。

226.         
至富なれば自らはその富たるを知らず
()()なれば、自ら其の富たるを知らず、()()なれば、自ら其の貴たるを知らず。道徳功業も、其の至れる者は、或は亦自ら知らざること然る() 

岫雲斎
大金持ちは自分が金持ちであることを知らないでいる。
同様に、道徳でも、功績でも、その偉大なものを自分では知らないものであろうか。

227.         
真孝と真忠
真孝は考を忘れる。
念々是れ考たり。
 

岫雲斎
本当の孝行者は自分のしている孝行を意識していない。なぜなら思うこと総てが孝行で、これは孝行、これは孝行ではないのである。同様に真の忠義者は忠義を忘れている。思うこと総てが忠義なのである。

228.
庭の道徳 
その一
親に(つか)うる道は、己れを忘るるに在り。
子を教うるの道は、己れを守るに在り
 

岫雲斎
親に仕える道は自己を全く忘れて何事につけ親の心や気持ちが安らかであるように尽くすことだ。子供を教えるには、自己を慎み守ってよい手本となることだ。

229.
家庭の道徳 
その二
父の道は当に厳中に慈を存すべし。
母の道は当に慈中に厳を存すべし。
 

岫雲斎
父たる道は、厳格のうちに慈愛がなければならぬ。母たるの道は慈愛のうちに厳格さがなくてはならぬ。

230. 
家庭の道徳 
その三
父の道は厳を(とうと)ぶ。但だ幼を育つるの方は、則ち宜しくその自然に従って之を利道すべし。助長して以て生気をそこなうこと()くば可なり。 

岫雲斎
父の子に対する道は厳格を貴ぶ。ただ幼児を育てるには、自然に従い、これを善い方向に導いてゆくのが宜しい。無理なことをして子供の生々とした気を害なうことがなければよいのだ。

231
家庭の道徳 
その四
兄弟(けいてい)の友愛なる者は之れ有り。
姉妹に於ては則ち或は(しか)らず。傲侮(ごうぶ)して以て不順なること勿れ。李英公、姉の為に粥を煮たり。
学ぶ可し。
 

岫雲斎男兄弟の仲の
よいのはあるが、姉妹にはどうかすると仲のよくないものがある。妄りに驕って他を侮り、道に違うようなことがあってはならぬ。唐の李英公は姉の病の時、人手はあったのに自ら粥を煮てあげたという事は学ぶべきことである。

232.
遺伝に関して
人の生るるや、父の気は猶お種子の如く、母の胎は猶お田地のごとし、余、年来人を()みするに、夫は性(こう)(じゅう)にして、而も婦も、順良或は(けい)(びん)なれば、則ち生子多く才幹有り。夫は才幹有りと雖も、而も婦は暗弱或は姦黠(かんかつ)なれば、則ち生子多く不才或は不良なり。十中の八九()くの如し。
然れども必ず然りとは謂わず。
 

岫雲斎
人の生まれるのを見ると、父の気は植物の種のようであり、母の胎は田地である。長年、多くの人間を観察していると、夫の性質が温厚、母が順良で慧敏であると才能ある立派な子供が産まれている。然し、夫は才能あり立派でも妻が愚かで弱かったり悪賢いと、生まれる子は多くは才能が無いか不良性を帯びている。先ず、十中の八か九は間違いないが必ずそうだとは言わない。

233.
過失を責める時の注意

人の過失を責むるには、十分を要せず。宜しく二、三分を余し、()れをして自棄に甘んぜず、以て自ら新たにせんことを?(もと)使()むべくして可なり。 

岫雲斎
人の過失を責める場合、100パーセントとっちめてはいけない。23分は残してその人が自暴自棄を起さずに自ら心を改めて新しく立ち直るようにしてやれば宜しい。

234.
責善の言
責善の言は、尤も宜しく(そん)以て之を出すべし。絮叨(じょとう)すること勿れ。讙呶(かんとう)すねーること勿れ。 

岫雲斎
善きことわせよ、と責めることは、なるべく(へりくだ)って言うべきだ。くどくど(絮叨(じょとう))言わない。(やかま)しく(讙呶(かんとう))言わないこと。

235.
災は誠を以て打破を

形迹(けいせき)の嫌は、口舌を以て弁ず可からず。无妄(むぼう)の災は、智術を以て免る可からず。一誠(いちせい)()を把って以て槌子(ついし)と為すに()くは()し。 

岫雲斎
痕跡のある嫌気を受けたら、口先で弁解しても効果はない。正道を歩みながら受ける災い(无妄(むぼう)の災)は智慧や手術では免れることはできない。ただ「誠」の一字を握ってこれを打出の小槌として打開するしかない。

236.
退歩の工夫は難し
鋭進の工夫は(もと)より(やす)からず。退歩の工夫は(もっと)(かた)し。惟だ有識者のみ庶幾(ちか)からん。 

岫雲斎
まっしぐらに進んで事を為すはもとより易しいことではない。しかし、それよりも難しいのは適当の機会を勘案して隠退する工夫である。これは見識ある者のみ出来ることだ。

237.
仕事の適正速度

人の事を()すは、須らく緩ならず急ならず天行の如く一般なるを要す。吾が性急迫なれども、時有りて緩に過ぐ。
書して以て自ら(いまし)む。
 

岫雲斎
仕事というものは余りにゆっくりでなく、また急いでもよくない。天体の運行のように自然なのが宜しい。自分は性質が急ぎ過ぎるものだが、時にはゆっくり過ぎることもある。ここに書いて自分の戒めとする。 

238.
事に緩急あり、心はそれを忘れて宜しい

昼夜には短長有って、而も天行には短長無し。惟だ短長無し、是を以て能く昼夜を成す。

人も亦然り。
緩急は事に在り。
心は則ち緩急を忘れて可なり。
 

岫雲斎
地球が太陽を廻るのは365日四分の一と決まっている。地球の地軸は傾斜が23.5度なので昼夜長短差が発生。このことを佐藤一斎先生は昼夜には短長あり而も天体の運行に短長なしと言う。天行には短長が無いから昼夜をなしている。世間も同様、緩とか急は事柄の方に有るのだが、心の方は事柄に吸引されないで、天行に短長が無いように常に平静でなくてはならぬと戒めたのである。

239.
事を為すには感情に走るな

凡そ事を為すには、意気を以てするのみの者は、理に於て(つね)に障害有り。 

岫雲斎
何事をするにも意気即ち感情に任せてやる人は道理から見て常に間違うものだ。

240.
恥という着物ほど立派な着物は無い
人は恥無かる可からず。又(くい)無かる可からず。
悔を知れば則ち恥無し。
 

岫雲斎
人間は恥を知るということがなければならぬ。また、悔い改めるということも必要である。悔い改めることさえ知っておれば終には悔い改める必要はなくなる。恥を知るということを心得ておれば恥をかくことがなくなるものだ。

241.         
苦と楽 
その一
(ころも)薄くとも寒相(かんそう)()けず。食貧くとも、(たい)(しょく)(あら)わさず。唯だ気()つる者能くすることを為す。而れども聖賢の貧楽は、則ち此の類に非ず。 

岫雲斎
薄着しても寒そうな様子もせず、食べ物が貧しくともひもじい顔を見せない。このような事は、気象の強い人のみよく出来ることだ。だが、聖人や賢人が貧を楽しむというのはこれと同類ではない。

242.         
苦と楽
その二
人は苦楽無き能わず。唯だ君子の心は苦楽に安んじて、苦あれども苦を知らず。小人の心は苦楽に(わずら)わされて楽あれども楽を知らず。 

岫雲斎
人間は誰でも苦楽がある。ただ立派な人物の心には苦楽に安んじて苦楽にこだわらないから苦があっても苦しまない。だが、小人の心は苦楽に煩わされているから楽があっても楽しむことを知らない。

243.         
苦と楽 
その三
人は事を共にするに、()れは快事を(にな)い、我れは苦事(くじ)を任ぜば、事は苦なりとと雖も、意は則ち快なり。我れは快事を担い、渠れは苦事を任ぜば、事は快なりと雖も、意は則ち苦なり。 

岫雲斎
人と仕事をする場合、彼が快適な仕事を担当、自分が苦しい仕事を引き受ければ、仕事は苦しいが心は愉快である。自分が快適な仕事をやり、彼が苦しい仕事をやれば仕事は愉快であるが心は苦しい。

244          
長所と短所 
その一
人各々長ずる所有り、短なる所有り。
人を用うるには宜しく長を取りて短を()つべく、自ら処するには当に長を忘れて以て短を勉むべし。
 

岫雲斎
人間には人それぞれ短所と長所とがある。人を使う場合、その長所を用い短所は見て見ぬふりをするのがよい。然し、自ら世に処するには自分の長所を忘れて短所を補うように大いに努力しなくてはならぬ。

245   
長所と短所 その二
己れの長処を言わず、己れの短処を護せず。宜しく己れの短処を挙げ、虚心以て(これ)を人にうべし。可なり。 

岫雲斎
自分の長所を人に言わず、また己の短所を弁護せず。これは、自分の短所を並べ挙げて、虚心に人に相談する方が宜しい。 

246.
厚重と遅重、真率と軽率
人は(こう)(じゅう)(たっと)びて、()(じゅう)を貴ばず。真率(しんそつ)(たっと)びて軽率(けいそつ)を尚ばず。 

岫雲斎
人は温厚で重々しいのを貴ぶが、遅鈍は貴ばない。さっぱりと飾り気のないのを尚ぶが、軽薄なのは尚ばない。

247.
恩を売る勿れ、誉を求める勿れ
恩を売ること勿れ。恩を売れば(かえ)って怨を惹く。誉を(もと)むること勿れ。誉を求むれば(すなわ)(そしり)を招く。 

岫雲斎
人には恩を売ってはならぬ。為にする恩は人から怨まれる。自ら名誉を求めてはならぬ。実もないのに誉を求めれば謗りを招くだけだ。

248.
瑣事は世俗ら背かず。大事は背くも可なり

日間(にっかん)()()は、世俗に背かぬも可なり。立身、(そう)(しゅ)は、世俗に背くも可なり。 

岫雲斎
日常の些事は世間の風俗に反しないようにする。然し、自分が目的を持ち心に堅く持して勉める事には世俗に背いても宜しい。

249.
大才は人を容る
小才は人を(ふせ)ぎ、大才は物を容る。小智は一事に輝き、大智は後図(こうと)に明かなり。 

岫雲斎
小才の人間は他人を容れず之れを防ぐが、大才の人物はよく他人の意見を容れる。小さな智慧ある人間は一時は輝くことがある。大きな智慧ある人は後世にまで残るものだ。

250.
相談を受けた場合の心得
人の我れに就きて事を謀らば、須らく妥貼易簡(だちょういかん)にして事端(じたん)を生ぜざるを要すべし。即ち是れ智なり。若し穿鑿(せんさく)を為すに過ぎて、己れの才智を(たくまし)うせば、(かえ)って他の禍を()かん。殆ど是れ不智なり。 

岫雲斎
人が自分に相談にきた場合、穏やかに、手軽に考えを述べ争いの種となるような事にならないようにすることが必要である。これが智慧というものだ。もし、余りに細かな事まで詮索し過ぎて自分の才智を出し過ぎると却って別の禍を起こしてしまう。これでは智慧のないことと同じである。

   佐藤一斎「言志晩録」その十 岫雲斎補注 
251.
適材適所
人才には、小大有り、敏鈍有り、敏大は(もと)より用う可きなり。但だ日間の瑣事は、小鈍の者(かえ)って能く用を成す。敏大の如きは、則ち(じょう)()を軽蔑す。是れ知る、人才各々用処(ようしょ)有り、概棄(がいき)すべきに非ざるを。 

岫雲斎
人間の才能には、小あり大があり、敏捷あり鈍重ありと様々である。敏捷で大きい才能ある者はもとより用いることは出来る。但し、日常の些事は鈍重で小才の者が却って用を良くなすものだ。才能の敏大なる者は日常の事をバカにして真面目に取り扱わない。このように考えると人の才能には各々使い場所があり、何れも棄てられるものではない。

252.
吉凶は我が心にあり

人情、吉に趨き凶を避く。殊に知らず、吉凶は是れ善悪の影響なるを。余は(かい)(さい)(ごと)に四句を(れきほん)本に題して以て家眷(かけん)(いまし)む。曰わく、「三百六(じゅん)、日として吉ならざる無し。一念善を()す、是れ吉日なり。三百六旬、日として凶ならざる無し。一念悪を作す、是れ(きょう)(じつ)なり」と。心を以て暦本と為す。可なり。 

岫雲斎
人情は吉を求め凶を避けるものだ。然し、人の吉凶はその人の行いの善悪の影響が原因であるという事を知らない。自分は歳を改める毎に、次の四句を暦の本に書いて家族の戒めとしている。曰く「365日、一日として吉日でない日はない。一念発起して善を行えばこれ吉日である。365日、一日として凶日でない日はない。一念発起して悪を行えばこれ凶日である」と。つまり、心を以て暦本とすれば、それでよいのである。吉凶は我が心にありである。 

253.
我が家の葬祭

吾が家の葬祭は、曽祖以来儒式を用う。但だ遺骸は之れを僧寺(そうじ)に託せり。国法に従うなり。既に之れを託すれば、礼敬せざるを得ず。儒者多く僧寺を疎遠にするは、是れ祖先を(うと)んずるなり。不敬なること甚し。 

岫雲斎
我が家の葬式は、曽祖父以来儒教の形式であった。ただ遺体は寺に託した。国法に従ったものだ。遺体を寺に託した以上、これを礼拝し尊敬しなくてはならぬ。然し、多くの儒者が寺を疎んずるのは自分の祖先を疎んずることであり祖先に対して甚だ不敬である。

254.
後図と孫謀

後図(こうと)は宜しく奉先(ほうせん)に在るべく、(そん)(ぼう)(ねん)()()くは()し。

岫雲斎
後世に残る計画は先祖を大事にすることに在る。子孫の為にする(はかりごと)は祖先を(おも)うことに勝るものはない。後世や子孫の為を考えたら先ず祖先を大切にすることだ。

255.
初起は易く収結は難し
凡そ事、初起(しょき)は易く、収結は(かた)し。一技一芸に於ても亦然り。 

岫雲斎
何事に於いても始めるのは容易だが終りを全うするのは難しい。どんな技、どんな芸事でも同様である。

256.
仕事始めも慎重を要す
収結は()(かた)しと為す。而れども起処も亦慎まざる()からず。起処是ならずんば、則ち収結(まった)からじ。  岫雲斎
終りを全うすることはもとより困難であるが、仕事の始めも慎重でなくてはならぬ。仕事始めが正しくないと最後の締めくくりも全うしなにい。
257.
老少の述懐
余は少壮の時、気鋭なり。此の学を視て容易に()す可しと(おも)えり。晩年に至り、蹉跌(さた)して意の如くなる能わず。(たと)えば山に登るが如し。麓より中腹に至るは易く、中腹より絶頂に至るは難し。凡そ晩年為す所は皆終結の事なり。古語に「百里を行く者は九十を半とす」と。(まこと)に然り。 

岫雲斎
自分は若い時元気盛んで頭脳も鋭敏、それで聖人の学は容易に学べると思った。然し、晩念になると事毎につまづいて思うようにならぬ。それは登山のようであり、山麓から中腹までは楽だがそこから頂上までは困難である。すべて晩年になってから為す事はみな人生の締めくくりである。古人は「百里を行くとは九拾里を以て半分とする」とあるが誠に其の通りである。

258.
宜しく一日を慎むべし
昨日を送りて今日を迎え、今日を送りて明日を迎う。
人生百年此くの如きに過ぎず。
故に宜しく一日を慎むべし。一日慎まずんば、醜を身後に遺さん。恨む可し。
羅山(らざん)先生謂う、「()(ねん)宜しく一日の事を謀るべし」と。
余謂う「此の言浅きに似て浅きに非ず」と。
 

岫雲斎
昨日を送り今日を迎え、そして今日を送り明日を迎える。人間の一生はよし百年の長きでもこの繰り返しに過ぎない。だから、その日、その日の一日を慎まなくてはならぬ。今日の一日を慎まないと必ず醜名を死後に残すことになりそれでは誠に残念である。林羅山先生が「人は晩年になったら今日一日の事をよく考えて暮らすが良い」と云われた。自分は「この先生の言葉は一見、浅薄のようであるが実は非常に含蓄のあるものだ」と思う。

259.
少年は少年らしく、老人は老人らしく
少にして老人の態を為すは不可なり。老いて少年の態を為すは尤も不可なり。 

岫雲斎
若者が老人ぶるのはよくないが老年が若者ぶるのは最もよくない。

260.
老人は酷に失せず、慈に失す
老齢は酷に失せずして、慈に失す。(いまし)む可し。 

岫雲斎
人間は老齢になると他に対して厳格になり過ぎることはないが、慈愛に過ぎる傾きがある、これは戒めなくてはならぬ。

261.
老人は忘れっぽくなるが義を忘れるな
人は老境に(いた)りて(まま)善く忘る。()だ義のみは忘る可からず。 

岫雲斎
歳を取ると忘れっぽくなるが人間として守るべき義だけは忘れてはならぬ。

262.
老人は少壮者と謀って事を為すべし
吾れ壮齢の時は、事々矩(じじのり)()え、七十以後は、事々矩に及ばず。凡そ事有る時は、須らく少壮者と商議し以て吾が(およ)ばざるを(たす)くべし。老大(ろうだい)(さしは)みて以て壮者を蔑視すること()くば可なり。 

岫雲斎
自分は壮年の時には事々に道徳的規範を逸脱したが七十以後は事々に道徳的規範に達しない。老人は誰でも、何か事ある時には、若い者と相談して足りない所を補うのが宜しい。自分の老年をはなにかけて若い者を侮ることがなければ結構である。

263.
人事は皆これ学
多少の人事は皆是れ学なり。人謂う「近来多事にして学を廃す」と。何ぞ其の言の(あやま)れるや」 

岫雲斎
人間の関係する事は多かれ少なかれみな学問である。ある人は「多忙で学問を止めた」という。これは何という間違った発言であろう、毎日の事柄自体が学問であるのに。

264
目が見え耳が聞こえる限り学問をする
老来(ろうらい)(くら)けれども、猶お能く聞く。(いやし)くも能く聞睹(もんと)すれば、則ち此の学(いず)くんぞ能く之れを廃せんや。 

岫雲斎
歳をとると目が悪くなるが、まだよく見える。耳も遠くなるがまだよく聞き取れる。仮にも目が見え、耳が聞こえる限りは聖人の学問をどうしてやめられようか、やめることは出来ない。

265.
人事の叢集、落葉の如し

人事の叢集(そうしゅう)するは落葉の如し、之れを(はら)えば(また)(きた)る。畢竟窮(ひっきょうきゅう)()無し。緊要の大事に非ざるよりは、則ち迅速に一掃して、遅疑すべからず。(すなわ)ち胸中(しゃく)として余暇有りと為す。 

岫雲斎
人の為すべきことは秋の落葉のように叢らがっている。掃除をしても又やつてくる。無くなるということはない。だから、極めて大切なことでない限り、サッさと片付けてグズグズしないことだ。そうすれば心はいつもゆったり余裕が出来る。

266.
老人は言を慎むべし
老人の話は多く信を取れば、尤も言を慎むべし。 

岫雲斎
老人の話は経験に基づくから多くの人に信用される。だから無益なことを言わぬように慎まなくてはならぬ。

267.
学人は生きて聖人たらんと努めよ
尋常の老人は、多く死して仏と成るを(もと)む。学人は則ち当に生きて聖と()るを要むべし。 

岫雲斎
多くの普通の老人は死んだら仏となりたいとと願う。然し、学問をする者は生きて聖人となるように念願すべきである。

268
孝弟は終身の工夫
(こう)(てい)は是れ終身の工夫なり。老いて自ら養うは、即ち是れ孝なり。老いて人に譲るは亦是れ(てい)なり。 

岫雲斎
親に尽くす孝行、兄弟が仲良くする(てい)は、生涯に亘り工夫をこらすべきものである。歳を取り自分の体を大切にする事は親の遺体を守ることでもあり、これこそ当に孝である。老いて人に譲るはこれは(てい)の道である。

269 
良医に託す可し
親に(つか)うる者は、宜しく医人の良否を知りて以て之れを託すべし。親没する後に至りては、己れの()も亦(かろ)きに(あら)ず。宜しく亦医人を知りて以て自ら託すべし。()し己れ(わすず)かに医事に渉り医方を知るは、(かえ)って(おそ)る、或は自ら誤らんことを。慎む可し。 

岫雲斎
親孝行を尽くしたいと思う者は、医者の良否を調べて良医を親に当てるべきである。親の死亡した後は自分の体も大切なものであるから良い医師を知り任せなくてはならぬ。僅かに自分が医事を知るからと自己診断で投薬すると却って誤診するから大いに慎まなくてはならぬ。

270.         
良医には恒心がなくてはならぬ
「人にして(つね)無きは、以て巫医(ふい)と為る可からず」と。余(かつ)て疑う「医にして(つね)有って術無くば、何ぞ医に取らん」と。既にして又(おも)う、「恒有る者にして、而る後に(ぎょう)必ず勤め、術必ず(くわ)し。医人は恒無かる可からず」と。 

岫雲斎
論語にあるが、「人として恒心、つまり常に易らない誠心のない者は、良い巫女(みこ)にも、良い医者にもなれない」と。昔は之れを疑い「医者で恒心があっても術がなければ、どうして医者たり得るか」と思った。その後、またこう思うようになった「恒心ある者でこそ、その業に励み、術も必ず詳しくなるものだ、だから医者には恒心がなくてはならぬ」と。 

271.         
誠意が無ければ何事も成らず
事を做すに誠意に非ざれば、則ち凡百(ぼんひゃく)成らず。(やまい)に当りて医を請うが如きも亦然り。既に託するに死生を以てす。必ず当に一に其の言を信じて、疑惑を生ぜざるべし。是の如くは我れの誠意、医人と感孚(かんぷ)して一と為り、而して薬も亦自から霊有らん。是は則ち誠の感応(かんのう)なり。若し或は日を(わた)り久しきを経て、未だ効験を得ずして、他の医を請わんと欲するにも、亦当に能く前医と謀り、之をして其の知る所を挙げて、(とも)に共に虚心もて商議せしむべくして可なり。是くの如くにして効無くなば則ち(めい)なり。

岫雲斎
事を為すには誠意が無ければ何事も成就しない。
病気になり医者を頼む時もその通りだ。既に(たの)んで生死を任せた以上、必ずその医者の言葉を信じて疑わないがよい。さすれば自分の誠意が医者の誠意と感応し合い薬も霊験新たかなものがある。これは誠意の感応である。もし、長く日を経て効験なく他の医者を招く時も前の医者と相談し、その知っているだけの事を引き継ぎ互いに私心を棄てて相談させるようにするのが良い。

272.         
医者を精選し信頼せよ
人家(じんか)平常(へいじょう)託する所の医人は、精選せざる可からず。既に之れを託すれば、則ち信じて之れを聴いて可なり。人の病は、症に軽重有り。効に遅速有り。仮令(たとい)弥留(びりゅう)して効無きも、亦疑を容るる可からず。則ち医人の心を尽くすも、亦必ず他に倍せん、是れ医を用うるの道にして、即ち人を用うるの道然るなり。或は劇症、大患に()い、傍人(ぼうじん)故旧(こきゅう)往々にして他医を勧むる有るも、亦(みだり)に聴く可からず。医人の技倆、多くは前案を(ほん)す。幸に(あた)れば則ち可なり。(しか)らざれば則ち(かえ)って薬に()って病を醸し、(はなは)だ不可なり。(つい)に之れを命を知らずと謂う。 

岫雲斎
どの家庭でも顧問医は十分に厳選しなくてはならぬ。一任した上は医者を信じて指示に従うことだ。凡そ人間の病気には、軽い、重いがあるし薬効も早いのや遅いのとある。だから例え危篤が続き薬効が現れなくても疑ってはならぬ。もし疑うことなくその医者に一任すれば医者の心尽くしも他家に倍増するであろう。これは医者を使う場合の道であり人間を使う道でもある。或は劇症や大病にかかり、付近の人や親戚友人が往々にして他の医者を勧めることがあっても、濫りにこれを聴いてはならぬ。なぜなら、その人の腕前で多くの場合、前の医者のやり方を変えるものである。それが(あた)ればよいが、(あた)らねば却ってその薬により病が生じて甚だよくないことになる。これは天より定まっている人間の命を知らないというべきである。 

273.         
養生につて三則 その一
親を養う所以を知れば、則ち自ら養う所以を知り、自ら養う所以を知れば、則ち人を養う所以を知る。 

岫雲斎
子として親を養う理由を知れば、わが身を養う訳を知る。自分を養う理由を知れば人を養う訳もわかる。

274.         
養生につて三則 その二
(じん)寿(じゅ)には自ら天分有り。然れとども又(おも)う。「我が()は則ち親の躯なり。我れ老親に(つか)うるに、一は以て喜び、一は以て(おそ)れたれば、則ち我が老時(ろうじ)も亦当に自ら以て喜懼(きく)すべし」と。養生の念此れより起る。 

岫雲斎
人間の寿命には天の定めがある。然し、考えてみれば「自分のこの身体は親から受けたもので親の身体と同然である。老いた親に仕えて一方でその長寿を喜び、一方では親の衰えたのを恐れた如く、自分が歳を取った時もまた自ら恐れたりすべきである」と。かかる存念から養生の念が起きるのである。

275.         
養生につて三則 その三
凡そ生物は皆(やしない)()る。天生じて地之れを養う。人は則ち()()の精英なり。吾れ静坐して以て気を養い、気体相資(あいし)し、以て此の生を養わんと欲す。地に従いて天に(つか)うる所以なり。 

岫雲斎
生きとし生きるものは皆、養の一字に頼らぬものはない。天が万物を生じ、地がこれを養う。そして人間は地上最高の産物で地気の精髄である。吾はその万物の霊長として静坐し、天から享けたこの精神を養い、運動し、心身を相資(あいたす)けて、この生命を養うのである。これは万物を養う地に従い、万物を生じた天に仕える所以である。

276.         

貴人の老いて子を得るを戒む
()(かい)の人多く()(しょう)を蓄え、()(ねん)()えて()を得る者、往々にして之れ有り。(せつ)(よう)の宜しきに非ず。老いて養うこと知らず、之れを不慈(ふじ)不幸(ふこう)に比す。 

岫雲斎
身分の高い人は多くの妾を持ち、60才を過ぎてから子を得る者が往々にしてある。これは決して養生の宜しきを得ておらない。老年となり自ら養生するを知らぬ者である。子に対しての慈愛が欠け、親に対して不幸者と見られて致し方はないものだ。

277         
再び、養生について四則 
その一
(しん)()労せず、労せざるは是れ養生なり。体躯を労す、労するも亦養生なり。 

岫雲斎
精神を疲労させない、疲労させない事は養生である。身体を労働させる。労働させる事もまた養生なのである。

278.         
再び、養生について四則

その二
(かい)(むか)えば(えん)(そく)す」万物皆然り。故に(しん)に就く時、宜しく其の(かい)を空虚にし、以て夜気(やき)を養うべし。然らずんば枕上(ちんじょう)思惟(しい)し、夢寐(むび)(やす)からじ。養生に於て(さまたげ)と為す。 

岫雲斎
「夕方暗くなって休息する」、これは万物みなその通りである。だから床につく時は、心を空虚にして夜の清明の気を養うようにするがよい。
さもなくば、寝てから色々考え込んで夢も安らかに結べない。これは養生の妨げである。

279.         
再び、養生について四則 

その三

口吐呑(くちとどん)を慎むも、亦養生の一端なり。 

岫雲斎
口で呑むもの吐くものを慎む、即ち悪い物は入れない、悪気は吸わない、これも養生の一方法だ。

280.         
再び、養生について四則 
養生の工夫は、節の一字に在り。 

岫雲斎
養生の工夫は、ただ節、即ち過度を慎み適度を守ることにある。

281.         

一飲一食も薬餌となすべし
一飲(いちいん)一食(いっしょく)も、(すべか)らく視て薬餌(やくじ)と為すべし。孔子(きょう)を撤せずして食う。多食せず。曽晢(そうせき)も亦(よう)(そう)(たしな)む。羊棗は大棗(たいそう)とは異なり。然れども亦薬食なり。聖賢恐らくは口腹(こうふく)嗜好(しこう)も為さざらん。 

岫雲斎
一杯の水、一椀の飯も、総て薬のつもりでなくてはならぬ。孔子は料理のツマにつけてある「はじかみ」(しょうがの類い)は口中を爽やかにする為にも、毒消しの為にも捨てないで食べた。総て食事は大食しない。
曽晢(そうせき)もまた(よう)(そう)(果物)を好んだ。(よう)(そう)大棗(たいそう)とは別物であるがもこれまた薬になるものだ。これらから分る事は、聖人や賢人は、口や腹の嗜好の為には食事を取らなかったであろう。

      言志晩録  最終章

平成25年8月1-11日 282.-№292

282.         
老境を述ぶ
人の齢は、四十を()えて以て七、八十に至りて漸く(おい)に極まり、海潮の如く然り。退潮は直退せず、必ず一前(いちぜん)一卻(いっきゃく)して而して漸退(ぜんたい)す。即ち回旋して移るなり。進潮も亦然り。人々宜しく自ら験すべし。 

岫雲斎
人間は40を越えると漸く年の寄るのを感じ、7080ともなると老いも極まってくる。年のとり方は、将に海の潮のように感じる。今、退()き潮を考えると、一度に退くものではなく、必ず寄せては返しているように見えながら次第に退いてゆく。即ちぐるぐる廻って移りゆく。上げ潮も同じであろう。人々は自分で年を取ってゆくのを験してみるがよい。

283
わが本願
我より前なる者は、千古万古にして、我より後なる者は、千世万世なり。仮令(たとい)我れ寿(じゅ)を保つこと百年なりとも、亦一呼吸の(あいだ)のみ。今(さいわい)に生れて人たり。庶幾(こいねがわ)くは人たるを成して終らん。()れのみ。本願(ここ)に在り。 

岫雲斎
自分より前には千古万古、後にも千世万世と永遠に続く。たとい己が寿命が百年あるとしても宇宙生命から見ればほんの一瞬に過ぎない。
今、幸いに人間として生まれた以上は、人間たるの本分を尽くして生涯を終えたい。我が真の本願はここにある。

284.  
心気精明なればよく事機を知る

心気(しんき)(せい)(めい)なれば、能く事機(じき)を知り、物先(ぶっせん)に感ず。至誠の前知(ぜんち)する之れに近し。 

岫雲斎
人の心が清明、清澄(せいちょう)であれば、事の発生以前にその兆しを知り、物事を先々に感得するこができる。至誠の徳ある人物が吉凶禍福を前知できるのは此の道理に拠る。

285.
死生観七則 その一
生は是れ死の始め、死は是れ生の終り。生ぜざれば則ち死せず。死せざれば則ち生ぜず。生は()と生、死も亦生、「生々之れを易と謂う」とは、即ち此れなり。

岫雲斎
生は死の始め、死は生の終りである。生まれなければ死ぬわけはなく、死ななければ生まれるわけもない。宇宙の大生命の上から見れば、生は元々生であり、死もまた生である。「生々これを易という」とはこのことである

易経・繋辞上伝「生々これを易という」。 大自然の姿は陽と陰の交替変化、それを易と言う。人間の生死・盛衰もこの理に従うと視る。
286.
死生観七則 その二
凡そ人は、少壮の過去を忘れて、老没の将来を図る。人情皆然らざるは()し。即ち是れ(じく)()(ごん)(きょう)の由って以て人を(いざな)う所なり。吾が儒は則ち易に在りて曰く「(はじめ)(たず)ね終に(かえ)る。故に死生の説を知る」と。何ぞ其れ易簡(いかん)にして明白なるや。 

岫雲斎
凡そ人間は、過去の少壮時代を忘れて老いて死ぬ事に思いをはせる。これが釈迦の仏教で人々を誘うものだ。
わが儒教は易経の通りで、人間の生死は、大自然の大生命上にある波と考えるから「生の初めを尋ねれば、終りの死にたどりつく」というもので、儒教の生死観は誠に以て簡便明瞭である。

287.
死生観七則 その三
死の(のち)を知らんと欲せば、当に生の前を観るべし。昼夜は死生なり。醒睡(せいすい)も死生なり。呼吸も死生なり。 

岫雲斎
死後のことを知ろうとするなら生まれる前のことを観るがよい。それは昼夜のようなものであり、眼が覚めている時と寝ている時のようなものである。そればかりではない。出る息が生であれば、吸い込む息は死である。生死を知ろうと思うならば一呼吸の中に死生の道理が現れている。

288.
死生観七則 その四
無は無より生ぜずして、而も()より生すず。死は死より生ぜずして、而も生よりり死す。 

岫雲斎
凡そ無は無から生ずるものではなくして、有があるから生ずるのである。死は死から生ずるのではなく、生から生ずるのである。

289.
死生観七則 その五

老佚(ろういつ)は形なり。死生は(あと)なり。老の(いつ)たるを知らば、以て人を言う可し。死の生たるを知らば、以て天を言う可し。 

岫雲斎
骨を折るのと、遊び楽しむのとは、形の上から言うことであり、死すると生まれるとは物の(あと)かたちから言うことである。働くことが楽しみである事を知れば、人生苦楽の相寄る理由を心得たことになる。また死は生に基づくものであることを悟ったならば天地生々の理を覚ったものとなる。

290.
死生観七則 その六
海水を器に()み、器水を海に(かえ)せば、死生は直に眼前に在り。 

岫雲斎
海水を器にくんで、その水を海に返せば死生の道理は眼前で知ることができる。くんだ水が生、戻した水が死である。

291.
死生観七則 その七

生を好み死を(にく)むは、即ち生気なり。形に?(こく)するの念なり。生気已に()けば、此の念を併せて亦()く。故に天年を終うる者は、一死(ねむ)るが如し。 

岫雲斎
人間が生きるのを好み、死をにくむのは、生きんとする気があるがである。これは身体に囚われた考えである。生気が無くなれば、身体に囚われるという念も自然となくなる。だから天寿を全うしたものは眠るように死す。

292.真我は万古に死せず

夢中の我れも我れなり。(せいご)後の我れも我れなり。其の無我たり、(せい)()たるを知る者は、心の霊なり。霊は即ち真我なり、真我は自ら知りて、醒睡(せいすい)(へだ)つること無し。(じょう)(れい)(じょう)(かく)は、万古に亘りて死せざる者なり。 

岫雲斎
夢の中の我も我である。醒めた後の我も我である。その夢の中の我であり、夢醒めた後の我であるという事を知るのは「心の霊妙な作用」である。この霊妙な作用こそ、「真の(われ)」なのである。この(しん)()は醒めた時も、睡眠中も少しも違いはない事は自ら知っている。真我は常住の霊であり、また常住の知覚でもあり万古に亘って不朽不滅のものである。 

(引用文献)   




言志四録

フリー百科事典

言志四録』(げんししろく)は、佐藤一斎が後半生の四十余年にわたって書いた語録。指導者のためのバイブルと呼ばれ、現代まで長く読み継がれている。

2001年5月に総理大臣の小泉純一郎衆議院での教育関連法案の審議中に触れ、知名度が上がった。

『言志四録』(げんししろく) 『言志録』(げんしろく) 『言志後録』(げんしこうろく) 『言志晩録』(げんしばんろく) 『言志耋録』(げんしてつろく)

概要

『言志録』、『言志後録』、『言志晩録』、『言志耋(てつ)録』の4書の総称。総1133条。

  • 言志録:全246条。佐藤一斎42歳(1813年)から53歳(1824年)までに執筆されたもの
  • 言志後録:全255条。佐藤一斎57歳(1828年)から67歳(1838年)までに執筆されたもの
  • 言志晩録:全292条。佐藤一斎67歳(1838年)から78歳(1849年)までに執筆されたもの
  • 言志耋(てつ)録:全340条。佐藤一斎80歳(1851年)から82歳(1853年)までに執筆されたもの
  • 三学戒

    『言志晩録』第60条
    「少くして学べば、則ち壮にして為すことあり
    壮にして学べば、則ち老いて衰えず
    老いて学べば、則ち死して朽ちず」

    参考文献

  • 佐藤一斎 『言志四録(一)言志録』 川上正光全訳注、講談社〈講談社学術文庫274〉、1979年1月。ISBN 4-06-158274-7
  • 佐藤一斎 『言志四録(二)言志後録』 川上正光全訳注、講談社〈講談社学術文庫275〉、1979年3月。ISBN 4-06-158275-5
  • 佐藤一斎 『言志四録(三)言志晩録』 川上正光全訳注、講談社〈講談社学術文庫276〉、1980年1月。ISBN 4-06-158276-3
  • 佐藤一斎 『言志四録(四)言志耋録』 川上正光全訳注、講談社〈講談社学術文庫277〉、1981年12月。ISBN 4-06-158277-1
  • 西郷隆盛 『西郷南洲遺訓 附 手抄言志録及遺文』 山田済斎編、岩波書店〈岩波文庫〉、1939年2月。ISBN 4-00-331011-X

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